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呉のトップ・孫権を命がけで救った、三国志の時代の優秀な「SP」といえば?

ここからはじめる! 三国志入門 第57回


安倍元首相が銃撃された事件で、ニュースを賑わせた「SP」という単語。歴史上、権力者が命を狙われやすいのは当然で、彼らを守護するボディーガードや用心棒と呼ばれる人々が重宝されるのもまた事実だ。『三国志』の時代も、その任についた者たちが多く存在したであろうが、今回はその代表格のひとり、周泰(しゅうたい/?~222年頃)の活躍を挙げてみたい。


孫権に武勇と身体中の傷を褒めたたえられる周泰(三国演義連環画)

 現在の中国・江西省(こうせいしょう)は長江の南岸に面し、その支流が何本も流れ、鄱陽湖(はようこ)という巨大な湖が横たわる都市だ。三国志の時代には九江郡(きゅうこうぐん)と呼ばれた、この水気の多い土地柄に周泰は生まれ育った。こうした出自からか、小説『三国志演義』では、彼は江賊(海賊)出身とされている。

 

 そんな周泰を見出したのが、孫策(そんさく)である。正史ではその性格は慎み深く、しばしば軍功を立てたという程度の紹介で、海賊じみたギラついたところもない。寡黙で目立たないが、いざとなれば役に立つ。そんなところが「SP」向けといえたのかもしれない。

 

 彼を気に入ったのが、当時10代の孫策の弟・孫権(そんけん)だ。周泰を自分に付けてほしいと兄に頼んで側においた。それからしばらく経ち、孫策が遠征中で留守の陣営を、数千人もの賊が襲ってきた。留守をあずかっていたのは孫権以下1000名足らず。ろくに防護柵も建てず、油断しきっていたところを狙われたのだ。現場は大混乱となる。

 

 慌てた孫権は馬に乗って逃げようとするが、すでに敵が何人か目の前まで迫っていた。馬の鞍に斬りつける者もいたが、咄嗟のことで護衛の者もうまく動けない。そんななか、周泰一人は落ち着き払って孫権の盾となり、敵を防ぎにかかった。果敢な戦いぶりに味方も奮い立ち、数倍の敵を追い払うことに成功した。

 

 敵は逃げ去ったが、周泰はその場に倒れ伏した。身体に12ヵ所もの傷を負っていたのである。「權幾危殆」と正史は記す。まさに周泰がいなければ孫権は死んでいたと思われ、歴史が変わっていたであろう。

 

 このあたり、劉禅(りゅうぜん)を救った趙雲(ちょううん)、曹操を救った典韋(てんい)や許褚(きょちょ)にも、まったくひけをとらぬ活躍といえよう。弟の命の恩人に深く感謝した孫策は、ますます彼を重く用いたそうである。

 

 孫策が没し、孫権の代になって体の傷はますます増えたようだ。何しろ孫権は、ろくに護衛も連れず虎狩りに出かけてしまう男。父や兄譲りの無鉄砲さを、張昭(ちょうしょう)に何度も諫められていた。そんなとき、周泰はたびたび駆り出されたのであろう。

 

 時が経ち、周泰は曹操軍との戦いの最前線基地(濡須)に派遣され、その督(総指揮官)を任された。しかし、元来目立たない男だからか、朱然(しゅぜん)や徐盛(じょせい)といった将たちは誰も彼に従おうとしなかったという。

 

 それを知った孫権、みずから砦に出向いてきた。孫権は無類の酒好き。当然、盛大な酒宴が開かれた。問答無用で強制参加である。酔った孫権はみずから酒を注いでまわり、やがて周泰の前に来ると、いきなり彼の腕を掴んだ。そして涙をはらはらと流し「幼平どの!」(周泰のあざな=通称)と叫んだ。

 

 ボロボロ泣きながら、孫権は昔の思い出ばなしを始めた。そして「私が今あるのは、あなたのおかげだ」というや、周泰に服を脱がせた。傷だらけの肉体があらわになる。孫権はその傷あとをひとつひとつ指さし、それらの傷がどうしてできたのかを周泰に語らせた。そうやって宴は終夜つづき、諸将はやっと周泰に従うようになった。孫権の酒好きも、時には役立つことがあったようだ。

 

 周泰には「赤壁の戦い」で火攻めを敢行した黄蓋や、奇襲で曹操軍に一泡吹かせた甘寧のように、戦局を一変させたような華々しい活躍はない。小説などでも呉の人物の活躍場面は少ないため、同じ「SP」枠の趙雲、許褚に知名度で劣るのは事実だ。しかし、孫呉の人々の間では、その地味ながら重厚な活躍は、いつまでも語り草となったに違いない。

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上永哲矢うえなが てつや

歴史著述家・紀行作家。神奈川県出身。日本の歴史および「三国志」をはじめとする中国史の記事を多数手がけ、日本全国や中国各地や台湾の現地取材も精力的に行なう。著書に『三国志 その終わりと始まり』(三栄)、『戦国武将を癒やした温泉』(天夢人/山と渓谷社)、共著に『密教の聖地 高野山 その聖地に眠る偉人たち』(三栄)など。

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