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“数の勝負”を”質の勝負”に置き換えた「大和型戦艦」への構想

「戦艦大和」物語 第2回 ~世界最大戦艦の誕生から終焉まで~


史上最大の46センチ砲を搭載した戦艦大和は、その巨大な船体、強武装、防御力の高さから超超弩級(どきゅう)戦艦と呼ばれた。戦艦大和が生まれた歴史的背景とは?


イギリス海軍が「条約開け」に建造したキング・ジョージ5世級戦艦のネームシップであるキング・ジョージ5世。太平洋戦争緒戦のマレー沖海戦で日本海軍中攻隊に撃沈されたプリンス・オブ・ウェールズは同級の2番艦だった。同級は14インチ(36センチ)主砲の4連装砲塔にやや問題を抱えていた。

 一連の海軍軍縮条約が効果を発揮していた、いわゆる「ネイヴァル・ホリデー(海軍休日)」の期間中から、日本海軍は「条約開け」を見据えた艦艇の増強計画を考えていた。

 

 条約によって隻数(総トン数)でアメリカ、イギリスに対して不利な立場に抑えられていた日本としては、「条約開け」以降、その不利をできるだけ早く解消したいが、相手も「有利な立場」を継続すべく、急速な建艦に入るのは当然である。

 

 これをもし「数の勝負」に持ち込もうとするなら、アメリカやイギリスより「遠い(少ない)」スタートラインに立っている日本は両国を追い抜かねばならないわけだが、やはり両国も「走って(建艦して)」おり、しかも「足(国家の建艦能力)」が日本よりも「速い(大きい)」ので「追いつく(同等の隻数)」のは困難だ。

 

 ならば「数の少なさ」を「質の高さ」で補うのはどうか。たとえ「数の勝負」で負けても、相手をはるかにしのぐ優れた戦艦を造れば、「数」を「質」で抑え込めるのではないだろうか。

 

 艦のスピードは相手とあまり変わらなくともよい。相手の砲弾が届かない遠距離から一方的に正確な砲弾を撃ち込むことができる砲を備え、よしんば、相手の砲弾が届く距離になって被弾しても、相手の砲の威力では貫けない装甲を備えた戦艦。

 

 こんな戦艦が造れれば、アメリカやイギリスに負けている「数の勝負」を「質の勝負」に置き換えて、勝てるのではないだろうか。

 

 きわめて単純かつ荒っぽい説明かもしれないが、日本海軍はこのようなこと、あるいは、これと類似した考えから、大和型戦艦を発想したといえる。

 

 しかしこれは「同じフネ同士の戦い」、つまりスポーツにたとえれば「ボクサー対ボクサー」「レスラー対レスラー」のように、敵は同じ土俵で共通のルールで戦うという考えに基づいている。では「空の敵」の航空機との「異種格闘戦」についてはどうかといえば、当時はまだ航空機の威力が過小評価されていたが、それでも「敵の制空権下で戦う可能性がある」ということもちゃんと考えられていた。

 

 そして、これらの概念をまとめあげる形で、具体的にはどんな構造の戦艦を建造すべきかという研究が開始された。

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白石 光しらいし ひかる

1969年、東京都生まれ。戦車、航空機、艦船などの兵器をはじめ、戦術、作戦に関する造詣も深い。主な著書に『図解マスター・戦車』(学研パブリック)、『真珠湾奇襲1941.12.8』(大日本絵画)など。

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