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日本陸軍の戦略に影響を与えた武闘派のインド独立指導者チャンドラ・ボース

最悪の陸戦・インパールの戦い 第4回


行き詰まりを見せていた日本の対インド戦略が、ひとりの男の登場により急展開を見せることとなる。同時にそれは、日本陸軍がインパール作戦発動へと舵を切る要因にもなった。


藤原岩市少佐のF機関により創設されたインド国民軍。昭南と名を改められたシンガポールから、ビルマ(現ミャンマー)のラングーン(現ヤンゴン)市内へ進駐した際の様子。

 1943年6月19日、東京の帝国ホテルでひとりのインド人が記者会見を開いた。インド独立運動の指導者、スバス・チャンドラ・ボースである。ボースの来日は、完全に行き詰まりを見せていた日本とインドの協力体制に、新たな風を吹き込んだのである。

 

 インド東北部へ侵攻する「二十一号作戦」が事実上棚上げになって以降、日本軍の対インド戦略は完全に停滞していた。日本がイギリスと戦端を開く前の1941年9月、参謀本部第二部で謀略を担当する第八課に在籍していた藤原岩市(ふじわらいわいち)少佐が、タイのバンコクに派遣された。その任務は「マレー方面の工作、とくにインド独立連盟およびマレー人、支那人らの反英団体との連絡、ならびにその運動を支援する」というものであった。

 

 だが藤原は一般宣伝の仕事をしていただけで、謀略や工作といった仕事の経験も知識も持っていなかった。しかも英語、マレー語、インド語のどれも話せない。

 

 藤原は前任者が開拓した組織を引き継ぎ、日本軍とインド独立連盟との連絡組織としての「F機関」を立ち上げた。この資金や組織力を持たず、しかも知識や経験すらない一介の少佐が組織した機関は、戦いが始まると大成功を収めることとなった。それは藤原が相手を徹底的に尊重し、地道に信頼関係を築いていったからである。

 

シンガポールのイギリス軍が降伏する際、その交渉の席に同席していた藤原少佐。右側で後ろに手を回して立っているのが藤原だ。もともとは情報畑ではなく、作戦参謀となるはずであった。

 F機関はビルマで戦端が開かれると、イギリス軍として参戦していたインド軍の将兵の切り崩し工作を展開。そして投降兵を主体とした、インド国民軍(INA)を創設する。彼らの働きは、マレーやビルマ方面での戦いを、日本軍有利に導いたことは確かであった。

 

 その結果、南方軍も東京の大本営も、インド人への工作の重要性を認識する。1942年4月になるとF機関は藤原の手を離れ、岩畔豪雄(いわくろひでお)大佐に引き継がれ、名称も「岩畔機関」に改められた。人も予算も大幅に増やされたのだが、藤原が行っていたような個人的な信頼関係ではなく、組織同士の関係となってしまう。結果、両者の間には齟齬が生じ始めた。

 

 その一因となっていたのが、日本軍によるインド東北部侵攻計画「二十一号作戦」の棚上げであった。1943年になると、日本軍とインド国民軍(INA)との見解の相違は、組織を続けていくのすら危ぶまれる状態に陥っていたのだ。チャンドラ・ボースが来日したのは、まさにそんな時期だった。

 

 ボースは1941年4月からベルリンに滞在し、ドイツと共闘してイギリスからの独立闘争を進めようとしていた。しかしドイツ側から思うような支援が得られなかったため、1942年になるとイギリスと戦端を開いた日本行きを希望するようになっていたのである。

 

 だが日本側の動きは鈍く、ようやくボース招致を決めたのは1942年8月で、そこからさらに無為な時間が半年も経過。そしてボースが潜水艦に乗りドイツを後にしたのは、1943年2月であった。ボース来日の遅れは、二十一号作戦の棚上げとともに、日本の対インド戦略の機会を損なわせる要因となった。

 

 1943年5月16日に東京に到着したボースは、杉山元陸軍参謀総長や嶋田繁太郎(しまだしげたろう)海軍大臣、永野修身(ながのおさみ)海軍軍令部総長など軍の重鎮、さらには政府要人とも面会し、インド独立における日本の支援を熱く依頼した。だが首相であり、陸軍大臣を兼務する東條英機との面会は、なかなか実現には至らなかった。

 

 この時の東條は、インドに対してあまり良いイメージを抱いていなかったようだ。そのうえ「ボースは共産主義に傾倒している」という疑いを抱いていたフシもある。そのため、ボースからの面会依頼に対しては、何かと理由をつけて先延ばしにしていた。

 

 そんな東條がボースとの会談に応じたのは、6月10日のことだった。大げさに言うとこの時、後世に史上最悪の作戦と呼ばれるインパール作戦決行への時限装置のスイッチが、入れられたと考えられる。

 

 インド独立に対する自分の考え、熱い思いを理路整然と語るボースに、東條はすっかり魅せられてしまったのである。それほどボースという人物は、カリスマ性を備えていたようだ。東條は6月12日に行われた帝国議会での演説で、インド独立に対する日本の支援を、明確に表明している。

 

 そして6月19日、それまで日本に滞在していることを秘密裏にしていたボースが、ついに万人の前に姿を現し、インド独立を実現すべく世界に対してメッセージを発した。その影響は計り知れなかった。とくに瓦解寸前であったインド国民軍(INA)が、新たな方向性を抱き、インド独立のための活動を活性化していくのである。それとともに日本軍の間でもインド北東部への侵攻作戦案が、再び机上にあげられたのであった。

戦前から戦中にかけて発行されていた『写真週報』。その309号の表紙を飾ったチャンドラ・ボース。日本軍が占領していたインド・ベンガル湾南部に位置するアンダマン島の海岸でのひとコマ。

 

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野田 伊豆守のだ いずのかみ

 

1960年生まれ、東京都出身。日本大学藝術学部卒業後、出版社勤務を経てフリーライター・フリー編集者に。歴史、旅行、鉄道、アウトドアなどの分野を中心に雑誌、書籍で活躍。主な著書に、『語り継ぎたい戦争の真実 太平洋戦争のすべて』(サンエイ新書)、『旧街道を歩く』(交通新聞社)、『各駅停車の旅』(交通タイムス社)など多数。

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