主役は石垣作りと鉄砲作りの職人。最強の「矛盾」の対決を描く直木賞候補作『塞王の楯』
「絶対に破られない石垣」VS「どんな城でも落とす鉄砲」
戦国時代を描く歴史小説において、一番の読みどころと言えるのは、やはり合戦の場面。川中島の戦いの武田信玄・上杉謙信の一騎打ちに象徴されるように、その主役となるのは歴史に名を馳せた勇将・猛将が中心だ。
だが第166回直木賞の候補作にも選ばれている『塞王の楯』(今村翔吾/集英社)は、合戦を描く場面はあっても、着眼点がまったく異なる歴史小説だ。
帯文には「『最強の楯』と『至高の矛』の対決を描く、圧倒的戦国小説!」との惹句があるが、「最強の楯」とは石垣のこと。「至高の矛」とは鉄砲のこと。
本書は、「絶対に破られない石垣」を作ろうとする石工(いしく)と、「どんな城でも落とす砲」の誕生を目指す鉄砲職人の対決を描く小説なのだ。
石垣は五百年持って一人前。三百年で崩れれば恥。百年などは素人仕事
この物語の主役となるのは、近江国穴太(あなの)に代々根を張り、石垣作りで天下に名を轟かす穴太衆の次期頭領・飛田匡介(とびたきょうすけ)。
穴太衆は、「石垣は五百年持って一人前。三百年で崩れれば恥。百年などは素人仕事」と考え、「それが悪人からの依頼であろうと、依頼さえあれば石を積む」「そして自分たちが請け負ったからには、誰一人死なせない」という、戦国時代のどの勢力にも与さないプロの職人集団だ。
そして本書は石工が主役の小説だけあり、「石工の集団には石を切り出す『山方』、石を運ぶ『荷方』、そして石を積む『積方』という3つの組がある」「最も重要なのが積方で、石垣の中に詰める栗石(ぐりいし)を並べるだけでも15年の修業が必要」といった、職人の仕事を解説する描写がまず楽しい。
また合戦の場面を読んでいても、「石垣には『高く積むこと』『丈夫に作ること』以外にも城を守る方法がいろいろとあるんだな」と驚かされる。
たとえば穴太衆は、あえて人がギリギリ乗り越えられる高さの石垣を作ったり、登らずに抜けられる場所を作ったりして、敵をおびき寄せることもする。
そして敵方が一気に攻め込んできたときに、乗り越えられた石垣を火薬で崩し、退路を塞ぐこともあった。石垣は守りの「楯」ではあるが、ときには攻めるための「矛」にもなるのだ。
飛田匡介の育ての親で、現在の穴太衆の頭である源斎は、「石を知るだけでは半人前。石積みを極めるためには、人の心を知らねばならぬ」とも述べている。
城を攻める人間の心を深く知った源斎の戦略は、まさに戦国武将顔負けのもの。ゆえに本書の合戦の場面は、たとえ主役が石工でも非常にリアルでスリリングなものとなっている。
本書は石垣づくりの職人が主役で、500ページ超の大著だが、読んでいて退屈することがない小説なのだ。
「泰平を生み出すのは、決して使われない砲」?
穴太衆の次期頭領である飛田匡介は、石垣づくりの天才。
「両陣営が決して落ちない城を持てば、お互いに手出しが出来ない。そして世の全ての城がそうなれば、戦は絶える」と考えて、最強の石垣づくりを目指している。
その宿敵といえるのが、同じ近江国の国友村の鉄砲職人集団・国友衆の国友彦九郎(げんくろう)。匡介と同じ時期の生まれで、こちらも鉄砲づくりの天才だ。
その彦九郎は、「どんな城でもあっという間に落とす砲。使えば1日で万……いや十万、百万が死ぬ砲」を作ることで、それを抑止力にして乱世を終わらせようとしている。
「泰平を生み出すのは、決して使われない砲」というのが彦九郎の考え方で、いわば現代の核抑止論のような立場なのだ。
そして国友衆が新しい鉄砲を生み出せば、穴太衆はそれに対抗する石垣を作る。その戦いは2人の先代の時代から続いている。鉄砲と石垣の技が、戦の表裏として競い合うように磨かれていくさまが本書では描かれている。
矛盾の対決のみならず、人間の矛盾や不条理をも描き出す
本書の後半では、関ヶ原の戦いの前哨戦と位置付けられる大津城の戦い(1600年)が描かれる。
その戦に加わった武将は史実のとおりで、守る東軍の城主は京極高次(きょうごくたかつぐ)。そして城を包囲した西軍側には、「日本無双」と称えられ、「立花家の3,000は他家の1万に匹敵する」と言われた勇将・立花宗茂(たちばなむねしげ)がいた。
匡介と彦九郎が攻める側・守る側のどちらに付いたかは言わずもがなだが、その合戦の描写が、とにかく見事。
次々と繰り出される「石垣」と「砲」を主軸とした攻守の戦略は、歴史小説の合戦の描写ではまず目にしないものばかりだ。
その合戦の描写は本書の後半200ページ以上にわたって続くので、詳細は本書を手にとって読んでほしいが、一つ印象的だったのは「賽の河原の如くに。何度でも、何度でも、崩されても諦めません」という匡介の言葉だ。
本書では、石垣づくりが賽の河原の石積みと重ねて描かれる場面が複数あるが、世から戦をなくすために石垣を作り、崩されてはまた作る徒労は、たしかに賽の河原の石積みに似ている。大きな岩を山頂に押して運び、転がり落ちてはまた運ぶ、アルベール・カミュの『シーシュポスの神話』のようでもある。
乱世を終わらせるために石垣を、鉄砲を作る職人を描く本書は、そうした人間の矛盾や不条理に気づきながらも、それでも生きる人間の姿を描いた小説でもあるのだ。