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紀州藩主の三男から8代将軍となった徳川吉宗。その野心と孤独を描く小説『吉宗の星』

三男、しかも妾腹の子の吉宗は「他を圧倒する力」を欲した

 

 江戸幕府第8代将軍・徳川吉宗といえば、世間的なイメージは『暴れん坊将軍』であり、教科書的な説明としては「享保の改革を行った江戸幕府・中興の祖」といったものだろう。

 

 谷津矢車の新作『吉宗の星』(実業之日本社)は、そうしたステレオタイプから離れた形で徳川吉宗を描いた小説だ。

 

 同作が主眼に置くのは、吉宗が権勢を手に入れようと願った背景と、その悲哀に満ちた生い立ち。そして、途方も無い力を与える一方で、疑心暗鬼も空しさも植え付け、血塗られた闘争をも巻き起こす「征夷大将軍」という劇薬の恐ろしさだ。

 

 まず彼の生い立ちについては、幼少期の吉宗が5代将軍綱吉に謁見した際、綱吉が放った下記の言葉に多くのことが集約されている。本書の冒頭に近い場面だが、以下に引用してみよう。

 

「卓越し、周りを蹴落とせ。今の世は、長幼の序に支配されておる。三男、しかも妾腹の子であるそなたは今の世では弱い。大事なものを守らんと欲さば、他を圧倒する力が要る」

(『吉宗の星』より)

 

 この言葉の通り、吉宗は徳川御三家の紀州藩2代藩主・徳川光貞の子供として生まれながら、非常に複雑な状況に置かれていた。

 

 父の光貞は吉宗に家督相続をするつもりは毛頭なく、吉宗の生母の浄円院(じょうえんいん)もその身分の低さゆえ、かなり虐げられた立場にあった。

 

 母を救うために必要なのは「力」。その力は、強引な行動でも起こさない限り、手に入らないものだった。

 

 そして吉宗は母のため、そして自らを支えてくれる家臣のために、天下の大権を目指すことになる。

 

政敵の「身から漏れる政の腐臭」が吉宗にも乗り移り……

 

 紀州藩主の三男であり、妾腹(しょうふく)の子である吉宗は、本書でも史実の通り紀州藩主となり、養子として宗家を相続する形で征夷大将軍になっている。

 

 吉宗は江戸の町奉行に大岡忠相(ただすけ)を抜擢するなど、身分にとらわれずに有能な人材を登用した将軍として知られるが、そうした抜擢人事にも、彼の生い立ちが重なって見えるのが面白い。

 

 なお、本書で描かれる吉宗の人生はおおむね史実に基づいているが、吉宗の乳兄弟(ちきょうだい)にして唯一の家臣である星野伊織など、架空の一部で人物も登場。細部には大いにフィクションが盛り込まれている。

 上記のような生い立ちを基礎に置きつつ、本書では吉宗と周辺人物との交友を掘り下げて描いている。そして、歴史的資料からは類推できない吉宗の「野心」や「孤独」をも、かなり踏み込んで描いている点に面白さがある小説なのだ。

 

 また政敵として描かれ、6代将軍・徳川家宣(いえのぶ)のもとで幕政を実質的に主導した新井白石、間部詮房(まなべあきふさ)らの「身から漏れる政の腐臭」が、だんだんと吉宗に移っていくように見えるのも興味深い。

 

「神君家康公以来の是に従わないものは排除する」という政策を取り、時には部下に「屠れ」と命じる吉宗。彼は将軍となったあと、江戸城大広間から庭先を眺めつつ、1人で思いに浸る。

 

 天下をお取りくださいませ。友が今わの際に口にした大それた願いが、今、己の手中にある。だが、だというのに、その感触はまるでなく、喜びもなにもない。何より、己の横には誰もいない。

 夕暮れ迫る大広間で、吉宗はじっと手を見た。赤く色づく手は、まるで返り血で汚れているかのように朱に染まっていた。

(『吉宗の星』より)

 

 そうした権力者の孤独を感じるに至った吉宗は、将軍となった先の人生で何を感じ、どう生きたのか――。その詳細は本書を読んで楽しんでほしい。

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古澤 誠一郎ふるさわ せいいちろう

ライター。1983年埼玉県入間市生まれ。東京都新宿区在住。得意なジャンルは本、音楽、演劇、街歩きなど。『サイゾー』『週刊SPA!』『散歩の達人』『ダ・ヴィンチニュース』などに執筆中。

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