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明治初期のニール号遭難事故を題材に、現実・人生の荒波を描く。鳴神響一の新刊『風巻』


鳴神響一による歴史小説『風巻』(しまき)では、明治初期の南伊豆を舞台に、主人公・達吉の人間ドラマが描かれる。現代よりも「村」や「家」という名の規範に縛られながら、強く生きる達吉の姿には、現代の我々にも必要な逞しさが垣間見える。


明治7年に伊豆で起きたフランスの貨客船の遭難事故が題材

 今の社会では失われた美徳や価値観に触れること。時代に翻弄されながらも懸命に生きた人々の、その熱い生き様に触れること。時の風俗が反映された情緒豊かな描写を味わうこと……。

 

 歴史小説を読むことには、そうした醍醐味があるが、鳴神響一の新刊『風巻』は、そんな歴史小説の面白さが存分に詰まった作品だ。

 

 タイトルの「風巻」とは、「風が激しく吹き荒れること」の意味。物語の題材となるのは、1874 (明治7) に伊豆半島で起きたニール号遭難事故だ。

 

 ニール号はフランスの貨客船。フランスから香港を経由して横浜港に向かう途中、暴風雨のため南伊豆の岩場で座礁し、沈没。乗員乗客の大半が命を失う悲劇となった。

 

 本書の冒頭では、その災禍を引き起こした嵐の様子が描かれるが、その迫力が凄まじい。以下は、ニール号の座礁した岩場近くの入間村の漁師・達吉が、嵐のなかで村の船を見に行く場面だ。

 

 全身に飛砂混じりの雨が襲い懸かってきた。頭巾から覗いた顔に濡れた砂が不快に爆ぜる。飛び交う小枝が胸に当たった。

 

 達吉は風の谷間を縫って走り出たはずだった。

 

 だが、石廊崎方向の入り江左手に浮かぶ住吉島から吹き付ける坤(南西)の烈風は、達吉たちを押し倒そうとして手ぐすねを引いて待っていた。

 

 突如として空気の塊が、身体の前面に突き当たった。達吉は腰を落とし、足を開くことで烈風の不意打ちに堪えた。

 

 次の瞬間、目に見えぬ力に達吉は背中から引っ張られた。五尺五寸の身体は、左岸の岩場に叩き伏せられた。

(『風巻』より)

ムラやイエに縛られ、武家の美徳も生きていた時代の人間ドラマ

 

 こうした描写を堪能するだけでも本書は面白い小説なのだが、タイトルの「風巻」は現実の嵐だけを指すわけではない。人の意志とは関わりなく不意に舞い、ときに荒波を起こして人生を狂わせる、人生の重大事のことも指している。

 

 本書の物語のなかで、漁師の達吉は嵐の海から異人を救う。彼はカタコトの日本語で「カクマッテ」と懇願する。村に秘密で匿(かくま)えば、達吉は間違いなくお咎めを受けることになる……。

 

 現実の嵐の描写を越えた先、本書の物語は史実を越えた人間ドラマへと発展。登場人物それぞれの人生を弄(もてあそ)ぶ嵐が吹き荒れることになる。

 

 その物語では「家への忠義」「家名を守るため」「一蓮托生」といった言葉も登場する。

 

 時代は明治初期。達吉の生きた日本には、1人の漁師が村の意向を無視した行動をする自由はない。そして自らの失態は家の失態、村の失態となり、その全体で罰を受けることになる。ただ一方で、「窮子(ぐうじ)を庇うは、これ即ち武家の美風なり」といった武家社会の美徳もこの時代には息づいていた。

 

 ムラやイエを無視して、自らの意思を貫くべきか否か。「美徳」と「罰を伴う規範」が対立したとき、そのどちらを選ぶべきか――。明治初期を生きた人間の葛藤を描く物語には、やはり心を揺さぶられるものがあった。

 

 達吉の時代には現代社会にはない「不自由」があったが、今の時代にはまた違う不自由がある。そして時として人生に嵐が訪れることは、いつの時代も変わらない。だからこそ達吉の「風は見えねぇし、つかまえられねぇ。けんど、俺っちは厭も応もなく風に巻き込まれる、風が吹いたら、吹いたなりに頑張るしかねぇんだら」という言葉は、今を生きる読者の励みにもなるはずだ。

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古澤 誠一郎ふるさわ せいいちろう

ライター。1983年埼玉県入間市生まれ。東京都新宿区在住。得意なジャンルは本、音楽、演劇、街歩きなど。『サイゾー』『週刊SPA!』『散歩の達人』『ダ・ヴィンチニュース』などに執筆中。

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