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仏教国家の確立を目指し、邪魔する者を殺害。蘇我馬子の矛盾と葛藤の半生を描く伊東潤の長編小説『覇王の神殿』

『歴史人』がいま気になる歴史小説・ 第5回

日本史最古の悪役・蘇我馬子の功罪が人間ドラマとして描かれる

 

 日本の歴史において「悪役」に描かれやすい人物は数多くいるが、その“最古の悪役”といえるのが蘇我馬子(そがのうまこ)だろう。

 

 物部氏(もののべうじ)と権力争いを続け、一族繁栄の礎を築く過程では、複数の皇族を暗殺。そして息子の蝦夷(えみし)、孫の入鹿(いるか)も度を越した専横を続け、蘇我氏は血ぬられた王権をめぐる闘争の主役となっていく……。

 

 が、一方で馬子は本格的な伽藍を備えた日本最初の仏教寺院・飛鳥寺(法興寺)も造営。仏教国家としての日本の礎を築いた人物でもある。

 

 なお馬子の人物評は『日本書紀』の記述に負うところが大きいが、『日本書紀』は蘇我氏を滅ぼした藤原氏が、強い権力を握ってから編纂されたもの。そのため蘇我氏側の悪評ばかりが強調されてきたきらいもあったが、蘇我馬子は日本史上で重要な功績を数多く残している人物なのだ。

 

 伊東潤の新作『覇王の神殿 日本を造った男・蘇我馬子』(潮出版社)は、そんな蘇我馬子を視点人物に据えた長編小説。功罪半ばする傑人・馬子を中心に、約1400年前の生死をかけた政争劇の様子が壮大な人間ドラマとして描かれている。

 

「仏教で強い国家を築く」という大義

 

『覇王の神殿』の物語のキーになる存在の一つが「仏教」だ。現代の日本に生きる人々にとって、仏教は「日本の生活に根付いた宗教」というイメージだろうが、馬子が生きた時代は仏教伝来から間もない時期。そもそも蘇我氏と物部氏の対立も、馬子の父の蘇我稲目(いなめ)の代に、仏教受容のあり方を巡って事態が深刻化したものだった。

 

『覇王の神殿』には稲目の言葉から始まる以下のような記述がある。

 

「……仏教には、この国古来の神道にはない国家鎮護という目的がある。それこそは、わしの目指すものと同じなのだ」

 

 神道は地域社会の安寧を祈るだけで、国家的な広がりのないものだった。しかし仏教には国家鎮護を祈るという使命があり、大王家を中心とした統一国家を築こうとしている稲目には、それが魅力的に映ったのだ。

(『覇王の神殿』より引用)

 

 本書に「日本を造った男・蘇我馬子」という副題がついているのは、日本は仏教国家の道を歩むきっかけを、蘇我馬子が作ったからこそ。崇仏(すうぶつ)派の蘇我馬子と廃仏派の物部守屋(もののべもりや)との命を懸けた権力闘争は本書の序盤で描かれるが、蘇我馬子には父から受け継いだ仏教への信仰があり、「仏教によって人心を束ねることで強国を作っていく」という大義もあったのだ。

 

血ぬられた王権をめぐる闘争と、その裏にある人間ドラマ

 

 一方で馬子は、「国家のためであれば、魔物だろうと魑魅魍魎(ちみもうりょう)だろうとなってみせましょう」と自ら話すように、大義のため私情を捨てる。自らの愛に目を背け、愛する人を政争の道具のようにも扱う。そして皇族の暗殺まで企てる。

 

 豪族の集まりにすぎなかった大和国は、馬子のもとで徐々に法治国家へと変貌を遂げていくが、馬子の周囲では小さな疑念から疑心暗鬼が生まれ、血ぬられた王権をめぐる闘争が続くことになる……。

 

 馬子が目指したのは「仏を尊ぶ真の国家の誕生」だった。その「正しい道」を邪魔する者たちを、馬子は亡き者にし続けた。

 

 馬子の生き方は、傍から見ても大いなる矛盾を抱えている。そして本人もその生き方の葛藤に苦しんでいる。本書は広く知られた史実をベースにしつつも、そうした人間の内面を十二分に描ききっているからこそ、歴史ドラマとして非常に面白いものとなっているのだ。

 

 また馬子が生きた時代は、人間の尊厳や命が「一族の繁栄」や「国家の発展」と比べて非常に軽く扱われた時代だった。

 

 本書では、暗殺を命じられたときに「我が汚名は千載に残っても、蘇我家が反映していけば構いません」とそれを引き受けた人物や、政争の中で愛してもいない男に体を許す女性も描かれる。そうした人物は時代の被害者の最たる例だ。ただ本書を読んでいると、「国家の発展」と「一族の繁栄」を両肩で担い、その運命に翻弄された馬子も、実は時代の被害者の1人だったのかもしれない……と感じるのだった。

 

 

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古澤 誠一郎ふるさわ せいいちろう

ライター。1983年埼玉県入間市生まれ。東京都新宿区在住。得意なジャンルは本、音楽、演劇、街歩きなど。『サイゾー』『週刊SPA!』『散歩の達人』『ダ・ヴィンチニュース』などに執筆中。

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