パンデミックに直面した人間の業を描く『火定』
『歴史人』がいま気になる歴史小説・ 第2回
コロナ禍と重なる「天平の疫病大流行」の物語が伝えるものとは――
このコロナ禍で「今読むべき歴史小説」があるとすれば、2020年11月に文庫化された『火定』(澤田瞳子/PHP研究所)は真っ先に名前が挙がる作品だろう。
同作が舞台とするのは「天平のパンデミック」に見舞われた奈良の都。735年から737年にかけて発生した天然痘の流行では、当時の日本の総人口の25~35%にあたる100~150万人が死亡。国政を担っていた藤原四兄弟も全員が感染によって病死したとされている。
なお『火定』の単行本版の刊行は2017年(同年には直木賞にもノミネート)。新型コロナウイルスの流行前に書かれた作品であるが、その物語では医療崩壊も起きれば、噂に翻弄される人々も描かれ、人々の不安が「怒り」へと転じたヘイトクライムも描かれる。コロナ禍の世界と重なる要素が非常に多いのだ。
その描写の合間に、さらっと差し挟まれる「世情が乱れれば、流言や迷信がはびこるのは世の常」「不満を抱く人々を黙らせるには、新たに敵となる存在を作り、そこに憎しみを向けさせるのが一番だ」なんていう言葉にも、いちいち唸ってしまう。
アメリカの連邦議会議事堂にトランプ支持者が乱入した一件が思い出され、かなりリアルな言葉だな……なんて思いながら読み進めていると、物語のなかでは実際に同じような出来事も起きてしまった。それだけ本書は、「パンデミックに直面した時の人間の本質」を見事に描いた小説なのだ。
物語の主軸をなす登場人物は、奈良の都の庶民救済施設・施薬院の役人や医師たち。その医師の綱手(つなで)は、感染爆発に見舞われた京の庶民の治療を一手に担っているが、その言葉には胸が熱くなるものが多い。たとえば以下のようなものだ。
「己のために行なったことはみな、己の命とともに消え失せる。じゃが、他人のためになしたことは、たとえ自らが死んでもその者とともにこの世に留まり、わしの生きた証となってくれよう。つまり、ひと時の夢にも似た我が身を思えばこそ、わたしは他者のために生きねばならぬ」(『火定』P192より)
なお、この本のタイトルの「火定」とは、仏道の修行者が、自ら火の中に身を投じ、永遠の瞑想に入ること。本書は「人が生きることの意味」だけでなく、「人の死は『歴史』に何を残してきたのか」も教えてくれる歴史小説だ。