「青い目の女性通訳」に託された幕末と現代の希望――佐川光晴の歴史小説『満天の花』
歴史好きが特に好む時代として、戦国時代と幕末期がよく挙げられる。佐川光晴による歴史小説『満天の花』は幕末を舞台としながら、女性の目線で時代を切り取ることで凡庸さを排し、現代の我々にも通ずるテーマを提示する。
主人公はオランダ人商館員と丸山遊郭の遊女の間に生まれた少女
幕末の外交を主軸に描く骨太の歴史小説でありながら、主人公は実在しない。だが、実在しない人物であるがゆえ、その物語には夢や希望が溢れている。佐川光晴(さがわみつはる)の『満天の花』(左右社)は実に不思議な作品だ。
時は幕末、安政3年の長崎。主人公の花は、出島のオランダ人商館員と丸山遊郭の遊女の間に生まれた青い目の少女だ。
彼女は奉公先のオランダ人商館の人々に愛され、オランダ語の勉強に励む。そして江戸時代末期の最後のカピタン(オランダ商館長)であるヤン・ドンケル=クルチウスに次のような言葉を寄せられる。
「これから先、アメリカ、ロシア、イギリス、フランスの艦隊がつぎつぎと日本を訪れるでしょう。ひとつ間違ったら日本を舞台に戦争がおきるかもしれない。(中略)。ハンナ(注:花のこと)もオランダ語にくわえて英語をおぼえてください。それはきっと、日本とオランダ、そしてあなた自身を助ける力になるはずです」(『満天の花』より)
そして花は、その語学の才能を勝海舟に見込まれ、彼の専属の通詞(通訳)に。日本史上稀代の外交手腕を備えた政治家・戦略家・実務家の傍らで働くことになった花は、歴史の大海原に乗り出していく。
そしてクルチウスの予言通り、彼女の語学の能力は、自身を助け、西欧列強の侵略の危機に瀕する日本を助けていくことになるのだ。
幕末の「青い目の女性通訳」が炙り出す差別・蔑視の構造
以上が物語の大きなあらましだ。勝海舟の身近に架空の通訳を置くことで、ともすると退屈な話になりがちな「幕末の外交」を、胸躍る・骨太な歴史小説として描き出している点が実に見事だが、その通訳が女性であることにも大きな意味を感じる。
本書の物語のなかで、オランダ人の機関士官のハルデスは、花に対して「オランダでも、ほとんどの女性は家にいて、外で働くのは男たちです。もしハンナがオランダに行き、通詞として活躍したら、多くのオランダ人女性が自分たちもあんなふうに働きたいと思うことでしょう」と述べている。
また勝海舟が花に対して「しかし、世はうつる。いつの日か、お江戸でも、青い目の娘が大手をふって外を歩けるようにしてみせようぞ」と声をかける場面もあった。
花が生きた幕末の時代は、外国人を敵とみなし、排斥しようとする攘夷の嵐が吹き荒れ、「異人」に対する殺傷事件が頻発していた。また、女性が男性のように働くことは認められず、歴史の表舞台に表れることはない時代だった。
そんな時代だったからこそ、「青い目の女性通訳が歴史を動かす活躍する」というフィクションの物語には、新しい時代の到来を夢見た人々の、見果てぬ夢が託されている。
そして現代を生きるわれわれがこの物語を読んでも、そこに夢や希望を感じてしまうのは、女性や外国人への差別・蔑視の問題が、今もなお解消されていないからだ。本書は歴史小説であるとともに、非常に現代的な問題意識をもとに描かれた小説でもあるのだ。