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敵対後も続いた天才たちの共鳴――『利生の人 尊氏と正成』が描く南北朝時代の人間ドラマ


第12回日経小説大賞を受賞した『利生の人』では、鎌倉幕府が滅亡する契機となった「千早城の戦い」の主要人物である楠木正成、足利尊氏、後醍醐天皇の内面が緻密に描かれている。約3ヶ月半にわたる籠城戦のなかで、それぞれの胸に去来したものはいったい何だったのだろうか?


楠木正成、足利尊氏、後醍醐天皇の内面から歴史を描く人間ドラマ

 日本史上屈指の「軍事的天才」「忠臣の鑑」と言われた楠木正成(くすのきまさしげ)。二度の討幕の試みや島流しを経験しながら、公武の政治体制・法制度・人材の結合を図った後醍醐天皇。足利将軍家の祖であり、「裏切りを重ねた反逆者」とも「人望と器量で逆境に打ち勝ったカリスマ」とも称される足利尊氏。

 

 毀誉褒貶(きよほうへん)が激しく、時代によって評価も異なる、圧倒的な個性を持った3人の傑人が並び立つ鎌倉末期~南北朝時代は、日本史のなかでも特に面白い時代の一つだ。天津 佳之(あまつよしゆき)のデビュー作にして第12回日経小説大賞作品の『利生の人 尊氏と正成』(日本経済新聞出版)は、その3人の「内面」を深堀りし、混沌とした時代を人間ドラマとして描く歴史小説だ。

 

 キーワードになるのは、タイトルにも使われている「利生(りしょう)」という言葉。この言葉は仏教用語で、本書の中ではこのように説明されている。

 いまの仏道に、衆生の仏の利益を垂らすことを”利生”という。ならば、衆生がみずからの本性を尽くして利生を成し合う国こそが、悟れる国なのではないか。

 

 利生の国を成す。それが、正成が思い至った結論だった。
(『利生の人 尊氏と正成』より)

 そう思い至った楠木正成に加え、後醍醐天皇、足利尊氏という3人の天才は、本書の物語では「利生」への思いで互いに共鳴している。特に深い部分でのつながりを感じていたのが正成と尊氏だ。

 

敵対しても感じる「幸せ」。天才の共鳴に感じる尊さと儚さ

 

 後醍醐天皇の討幕運動に呼応した正成が千早城(ちはやじょう)で籠城し、数十倍もの幕府の大軍を釘付けにしたとされる「千早城の戦い」の際、尊氏(当時は高氏)が正成との共鳴に気づく場面がスリリングだ。

 

 高氏は、これという援軍が見えないのに、籠城戦で奮闘を続ける正成の戦術を訝(いぶか)しむ。脳裏に地図を広げ、どの軍勢がどう動けば事態が反転するのか考え、急所は六波羅にあると思い至る。その続きが以下の場面だ。

 

 しかし、いま六波羅を食い破ることのできる魚が潜んでいるとは……。

 

 そう思ったときだった。高氏の脳裏に、雷光がひらめいたのは。

 

 (私、なのか) 

 

 いま、千早の援軍たる先帝方は、誰もいない。

 

 ーーこれから現れるのだ。いま、ここに。

 

 「おお……!」

 

 脳裏の稲妻に打たれたように、全身を震えが駆け巡るのを抑えられず、高氏は低く声を挙げた。そして、千早の城で死力を尽くす楠木正成に思いを馳せた。

 

(『利生の人 尊氏と正成』より)

 凡人には見えない大局が見え、高い志にもとづいて時代の先が読める2人だからこそ、起こった共鳴。歴史の教科書では、「楠木正成らが粘り強く戦った」「やがて後醍醐天皇が讃岐を脱出すると、天皇の呼びかけに応じて討幕に立ち上がるものが増え、足利尊氏も幕府に背いて六波羅探題(ろくはらたんだい)を攻め落とした」という事実の羅列で終わってしまう出来事が、ここまで深く読み解かれ、情感豊かに描写されている。歴史ドラマの真骨頂ともいえる面白さが、この場面には詰まっている。

 

 上記の場面は本書の序盤も序盤。尊氏と正成、そして後醍醐天皇という異なる個性を持つ3人は、それぞれがその本性に尽くしながら、明日の社会のために異なる行動を起こし、ときに敵対もしていく。

 

 なお本書には「することを合わせるから、仕合せなのだ」という言葉も登場するが、敵対しつつも共鳴し、幸せすら感じてしまう天才たちの生き様は、尊くも儚くも感じる。歴史上の偉人たちの心の深みと高みに触れられる喜びが、本書には溢れている。

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古澤 誠一郎ふるさわ せいいちろう

ライター。1983年埼玉県入間市生まれ。東京都新宿区在住。得意なジャンルは本、音楽、演劇、街歩きなど。『サイゾー』『週刊SPA!』『散歩の達人』『ダ・ヴィンチニュース』などに執筆中。

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