「時代小説ザ・ベスト2021」選出作収録。北海道開拓期の史実を題材にした小説集『小さい予言者』
北海道出身の著者が史実を題材に紡ぐ物語
明治末期の北海道の寒村に、1000冊を越える洋書が並ぶ図書館があった。
にわかには信じがたい話だが、これは実話である。
北海道出身の小説家・浮穴みみが、北海道開拓期を描く小説集『小さい予言者』に収録された、「日蝕の島で」のベースとなるエピソードだ。
その図書館があるのは、オホーツク海に面した道北の街・枝幸町(えさしちょう)。
その枝幸町には、皆既日食の観測のために米国の天文学者デビッド・トッド博士が1896年(明治29年)に訪問。曇天で観測は失敗するも、非常に協力的だった枝幸の人々にトッド博士は感激。帰国後に洋書の教養書を1000冊以上も寄贈したという。
「この北辺の漁村でマクベスの原書にお目にかかろうとは、恐れ入ったね……」と作中の登場人物も驚いていたが、いま知っても驚くエピソードだ。
そのほかにも『小さい予言者』に収録の短編には、大筋が史実に基づいている逸話が多数ある。
たとえば短編「費府早春」の主人公はライマンという鉱山学者だが、彼は実際の史実においても、北海道の地質調査に従事して日本の地質学に貢献した人物だ。
そのライマンが、広瀬常という女性に惹かれて結婚を申し入れるも認められず、彼女が結婚をしたのは、ライマンと仕事上でも関わりのあった森有礼だった……という本書のエピソードも実話である。
こうした北海道開拓に関わる人物の逸話は、歴史好きや歴史小説好きでも知らない人が大半だろう。
なお上述の短編「日蝕の島で」には、「日本の中心から遥かに北の辺境の地、道北・枝幸。けれど見方を変えれば、辺境は最前線になる」という一文もあった。
日本史の傍流のような扱いを受けてきた北海道開拓の歴史を、北海道ゆかりの作家がつぶさに調べ上げ、物語として紡いでいる点だけでも、『小さい予言者』は非常に面白い小説なのだ。
実在の防波堤をモチーフに描く家族の物語
そして『小さい予言者』の5つの短編に通底するのは、北海道開拓のマクロな史実をベースにしつつも、その歴史に関わった人々のミクロな営みに焦点を当て、情愛に溢れた物語を描いている点だ。
枝幸の村にトッド博士から1000冊の洋書が寄贈された史実は、異国の言葉を読み解くことを夢見た、枝幸出身の女学生の物語として紡がれる。国境を越えた知性への信頼から生まれた図書館を、「思い出すべき豊かな遺産」が眠る場所として描く姿勢は、北海道開拓を題材に創作を続ける著者ならではのものだろう。
また「稚内港北防波堤」という短編では、昭和6年(1931)から昭和11年(1936)にかけ建設された防波堤「稚内港北防波堤ドーム」が一つのモチーフになっている。
稚内特有の強風や高波を防ぐために作られた、この異色のドーム型防波堤は、今なお現存。当時26歳の土木技師が、大学時代の講義ノートにあったギリシャ・ローマ建築を参考にした……という本書のエピソードを知って現物を見ると、非常に面白いものがある土木構造物だ。
この半円形の防波堤を、作中の家族の息子たちは「うちのお母さんの背中に似ている」と表現する。そして防波堤を越えた海の先にあるのは、日本が一気呵成に膨張した時代に、人々が見果てぬ夢を追って渡った樺太だ。
自分を試そう、限界へ挑もうとする人々が目指した樺太と、その前にそびえ立つ猫背の防波堤。その防波堤をモチーフに、稚内に住む家族の物語を紡いでいく作者の筆致は非常に見事なものがある。
本作では収録作の一つが「時代小説ザ・ベスト2021」を受賞しているが、すべての短編が歴史小説として・そして純粋な小説としても非常に読み応えのある内容だ。