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敗者の大坂の陣 大坂の陣を彩った真田信繁㊵

歴史研究最前線!#074 敗者の大坂の陣 大坂の陣を彩った真田信繁㊵

人目を憚りつつも信繁や大助を供養した娘たち

 

妙慶寺(秋田県由利本荘市)にある、お田の方の墓。お田の方は真田信繁の五女で、出羽亀田藩第2代藩主岩城宣隆の側室、のちに継室。 名は、直、なほ、あるいは田(でん)。

 

 

 秋田県由利本荘市には、妙慶寺という寺院がある。妙慶寺は、佐竹宣家(のぶいえ/義宣弟)に嫁いでいた信繁の五女・御田姫(おでんひめ/顕性院)が建立したという。のちに宣家は、出羽亀田藩主になった人物である。

 

 同寺には、顕性院(けんしょういん)の遺品も数多く残されている。また、信繁の位牌が収められているので、真田家の菩提寺であるといわれている。

 

 それだけではない。秋田県大館市の一心院には、信繁・大助父子のものと伝わる墓碑が残っている。秋田県には、信繁・大助父子の墓について、多くの史跡が存在する。

 

 このように信繁・大助の墓は、信繁の息女により各地に建立された。信繁の娘が父の在りし日をしのんで、人知れず建立したのであろう。おそらく周囲の目が非常に気になったはずだ。

 

 福井市には、永平寺の末寺の孝顕寺という寺院がある。なんと同寺は、信繁を討ち取った西尾久作の菩提寺でもあったが、そこに信繁の首塚があるというから、実に不思議な話である。

 

 自身の菩提寺に信繁の首塚(真田地蔵)を建立した久作は、どのような理由でそうした措置をしたのであろうか。

 

 一説によると、久作は真田の縁者が信繁の首を奪うことを恐れたという。ただ、本当に信繁の首が孝顕寺の首塚に埋まっているかは不明である。未だ誰も確認していないことである。

 

 そもそも首実検後、久作が信繁の首を持ちかえったのか不審であり、常識で考えると久作が信繁の菩提を弔ったとは考えにくいのではないだろうか。

 

 今後、真偽をめぐって、さらに検討されるべき課題である。現在、福井市立郷土博物館が首塚(真田地蔵)を保存している。

 

 このように、さまざまな形で信繁・大助父子の墓所が残っているのは、誠に興味深いといえよう。信繁の娘たちは、亡き父や大助を偲んで、人目を憚(はばか)りつつも供養をしていたのである。

 

 

 

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渡邊 大門わたなべ だいもん

1967年生。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。『本能寺の変に謎はあるのか? 史料から読み解く、光秀・謀反の真相』(晶文社)、『清須会議 秀吉天下取りのスイッチはいつ入ったのか?』(朝日新書)『真田幸村と大坂夏の陣の虚像と実像』(河出ブックス)など、著書多数。

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