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上宮王家滅亡の理由を探る③ ~ 蘇我氏期待の星 聖徳太子一族はなぜ滅びたのか?

 


聖徳太子の跡継ぎ山背大兄皇子(やましろのおおえのおうじ)は従弟の蘇我入鹿(そがのいるか)らに滅ぼされた。山背大兄皇子の母親は入鹿の父親である蘇我蝦夷(そがのえみし)の妹、刀自古郎女(とじこのいらつめ)で血縁は深い。いったい何があったのか? 一切記録に残されていない、その動機を探ってみる。


田村皇子を次期天皇につけた蘇我蝦夷

 

上宮王家のみを滅ぼし焼かれなかった斑鳩・法起寺/柏木撮影

 西暦622年に聖徳太子が亡くなりました。628年には推古天皇が崩御します。その2年前に大臣蘇我馬子も亡くなっていました。蘇我蝦夷と入鹿親子の時代になります。

 

 崩御間際の病室に、次代を担うであろう田村皇子(たむらのみこ)と山背大兄皇子が呼び出されますが、推古天皇は「次はあなたが即位しなさい」とは言いませんでした。それもそのはずで、大権力を持つ蘇我氏の意向が重要ですから、推古天皇は二人の皇子に天皇となった時の注意事項を申し渡しただけでした。

 

 大臣蘇我蝦夷は田村皇子を次期天皇に就けようと考えていた節があります。

 

 そこで、何事にも正直で曲がったことを嫌う山背大兄皇子は、「私が天皇から聴いたことばとずいぶん違うことを大臣はおっしゃっているようだ。その時、病床にはこれこれという人がいて、皆が聞いている言葉だ。」と何度も使いを伯父の蝦夷に送って問い詰めます。

 

 あまりのしつこさに蝦夷は「体調が思わしくないので」と使いに会うこともしませんでした。

 

 そして田村皇子が34代舒明(じょめい)天皇として即位したのです。

 

 有力な即位候補者が複数いた時は、必ずそれぞれを推す有力豪族が対立します。この時もそうでしたが、大臣の絶対権力で舒明天皇が即位したといってよいでしょう。西暦629年のことでした。

飛鳥時代の大阪平野イメージ Google MAP 柏木宏之加工

上宮王家の山背大兄皇子が皇太子候補に挙がるが‥

 

 この時の大和国を取り巻く政治環境や国際環境、豪族関係を簡単にいうと、大臣の位を親子で独占世襲する蘇我本宗家は同族の間でも憎まれ始めていますし、朝鮮半島では蘇我氏が支援してきた百済がいよいよ劣勢になって来ます。

 

 そして舒明天皇の皇太子は誰なのか? という問題もすぐに持ち上がります。

 

 大臣蝦夷は自分の甥にあたる古人皇子(ふるひとのみこ)を皇太子にしようとしますが、やはりこの時も聖徳太子の跡継ぎである山背大兄皇子が候補に挙がります。

 

 ここからが私の妄想を土台にした想像と推理を展開することになりますのでお許しください。

 

 上宮王家と呼ばれる聖徳太子の一族は、相変わらず重要拠点の斑鳩に宮を置いています。

 

 上宮王家を尊崇し支持する豪族も数多くいます。

 

「皇太子だった聖徳太子さまの跡継ぎである山背大兄皇子さまこそ即位あそばされねばならないではないか! それなのに大臣蘇我氏の横暴は目に余る。かつて田村皇子(舒明天皇)と皇位を争った時、蘇我蝦夷殿は自分の意のままに田村皇子を皇位につけた。そして今、その皇太子に古人皇子を指名しようとしている。まさに皇統を汚す行為ではないのか!」

 

 と、上宮王家の山背大兄皇子を推戴(すいたい)する豪族集団が思ったかもしれません。

 

「こうなれば、飛鳥川の流れを実力封鎖して斑鳩の地の怖ろしさを味合わせてやろうか…。」

 

 などと誰かがつぶやいたりすると…。しかもそれが本当かどうかは別にして、入鹿が疑念を持ったとすると…。これは謀反の大罪ということになります。

 

『日本書記』などには一切記述がありませんが、私はそのようなことがあったのではないかと強く疑っています。

 

 蘇我入鹿に指令された上宮王家襲撃隊は、宮は焼きましたが斑鳩の寺には手を付けていません。つまり上宮王家殲滅(せんめつ)のみにターゲットを絞っているのが明確です。

 

 この時代は、担ぎ上げられる候補者その人を抹殺する方法が常套手段のように頻繁に起こります。

 

 …などと妄想を逞しくすると、謎がするすると解けるような気がするのですが…。

 

 これが上宮王家殲滅の動機と背景だったと私は考えています。

 

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柏木 宏之(かしわぎ ひろゆき)
柏木 宏之かしわぎ ひろゆき

1958年生まれ。関西外国語大学スペイン語学科卒業。1983年から現在も毎日放送アナウンサー、ニュース、演芸、バラエティ、情報、ワイドショー、ラジオパーソナリティ、歴史番組を数多く担当。現在、アナウンサーを続けながら武庫川学院文学部非常勤講師、社会人歴史研究会「まほろば総研」を主宰。奈良大学通信教育部文化財歴史学科卒業学芸員資格取得。専門分野は古代史。奈良大学卒論は「日本列島における時刻の掌握と報知の変遷」

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