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宇髄天元(うずいてんげん)の使いはネズミ。一方、牛の頭を持つ奇獣・牛頭天王は、鬼ならぬ神だったとか。一体、どういうことなのか?


『鬼滅の刃』には忍獣と呼ばれる宇髄天元の使いのネズミをはじめ、鴉(からす)や雀などの小動物が登場する。一方、伝承としての牛頭天王は、牛の頭と赤い角を持つという夜叉さながらの奇獣である。ただし、そのおぞましい外観とは裏腹に、善政を施した良き施政者だったとも伝わる。『記紀』に登場するスサノオと同一視されるなど、実に謎めいているのだ。果たして、その実態は?


災厄除去を願って祀られた祇園の神

辟邪神の天刑星(牛頭天王と同体異名との説も)に食われる牛頭天王。『辟邪絵』奈良国立博物館蔵/ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)

 

 「コンコンチキチン、コンチキチン」

 

 目にも鮮やかに飾り付けられた山鉾(やまほこ)の上から、鉦(かね)や太鼓、笛など、囃子方(はやしかた)が奏でる祇園囃子が響いてくる。「アー、コリャコリャ」といった合いの手までもが、絶妙な間合いで聞こえてくるのも心地よい。夏の京都を代表する風物詩・祇園祭での一コマである。

 

 毎年7月1日(吉符入/きっぷいり)から31日(疫神社夏越祭)まで、1カ月にもわたって繰り広げられる八坂神社の祭礼、そのハイライトともいうべき山鉾巡行(前祭7月17日、後祭7月24日)で鳴り響くのが、この軽やかな音色なのである。

 

 そもそも、祇園祭が始まったのは、貞観11869)年のこと。当時、京の都で疫病が蔓延。その災厄除去を祈願するために催された祇園御霊会が始まりだとか。当時の国の数に相当する66本の矛を立てて、祇園の神を祀ったとも。賑やかに奏でることで悪霊をおびき寄せ、霊験あらたかな祇園の神に退治してもらおうというのだ。その祇園の神というのが、今回紹介する牛頭天王のことである。

 

京都東山区・八坂神社の祇園社の祇園祭・山鉾巡行 フォトライブラリー

恐ろしい姿ゆえ、后を迎えることができなかったのに、八王子を得る

 

 牛の頭を持つ天王とは何とも奇妙な名前であるが、元々は、釈迦が説法を行っていた祇園精舎の守護神。つまり、歴とした神様である。祀られているのが、かつて祇園社と呼ばれていた八坂神社で、そこに伝わる『祇園牛頭天王御縁起』に、牛頭天王にまつわる物語が記されている。

 

 それによれば、東方浄土の教主・薬師如来が、牛頭天王に垂迹して姿を表したのだとか。その姿が実に奇妙である。何と7歳にして身長が7尺5寸(約2m25㎝)もあったというばかりか、3尺(約90㎝)もの牛の頭に3尺(同)の赤い角が生えていたという。神とはいえその姿は、夜叉さながらの恐ろしいものであった。

 

 天王自身は善政を施して多くの国民に親しまれてはいたものの、恐ろしい姿ゆえに、后(きさき)を迎えることができなかった。天王が悲嘆に暮れていたそんなある日、虚空界から突如、瑠璃鳥(るりちょう)が現れる。南海の果ての龍宮に、后となるべき女性がいると伝えるためにやってきたのだ。

 

 早速、禊を済ませて南海へと向かったものの、南天竺の夜叉国にたどり着いたところで疲労困憊。その国の王・巨旦(こたん)大王に一夜の宿を乞うも、激しく罵倒されて追い出されてしまったのだ。仕方なくさらに歩を進めたところ、今度は蘇民将来という年老いた翁の住む庵に行き着いた。ここでは、前述の巨旦とはうって変わって、粗末ながらも精一杯のご馳走でもてなされている。さらに舟をも用意されたことで、龍宮へ無事到着することができた。

 

 こうして后を迎え入れた天王は、その後8人もの王子にも恵まれ、幸せな歳月を過ごしたという。それから21年、望郷の念が生じた天王は、八王子を引き連れて北天竺へと戻っていった。その途上、かつて天王を邪険に扱った夜叉国の巨旦大王を攻め滅ぼし、攻め取った領土を蘇民将来に与えるとともに、「二六の秘文」なる秘法を授けて、子孫の守護まで約束したというのである。

                                                                                                     

朝鮮半島からやってきた古来渡来人と今来渡来人の違いが影響?

 

 この牛頭天王ゆかりの物語は、『備後国風土記』逸文にも記されている。ただし、牛頭天王に該当する神の名は武塔神。朝鮮半島由来(諸説あり)の神である。『祇園牛頭天王御縁起』において巨旦大王と蘇民将来の名で登場していた2人は、ここでは兄弟として描かれている。しかも、興味深いことに、2人とも蘇民将来と記されている。つまり、それは名前などではなく、「蘇の国(蘇州)から将来してきた民」を意味する言葉だったのだ。

 

 となれば、思いつくのが、弥生人の南方渡来説である。日本人の源流ともいうべき旧石器人や縄文人が、南方(東南アジアあたりか)を主体(南方人基層説)とするものか、北方(シベリアのバイカル湖あたりか)を主体(北方人基層説)とするものかはいまだ定かではないが、稲を携えて渡来してきた弥生人が、長江の中下流出身者である越人(蘇の人も含む)であったことは間違いない。

 

 ここで想像をたくましくすれば、蘇民将来とは、まさに蘇からやってきた弥生人(古来渡来人)のことで、武塔神(牛頭天王)とは、後に朝鮮半島などからやってきた今来渡来人のことではないか? この今来渡来人が、古来渡来人のうちの一族を攻め滅ぼし(あるいは排除)、残った勢力と力を合わせて国作りを開始したとも考えられるのだ。

 

 さらに後世になると、武塔神ならぬ牛頭天王は、『記紀』に登場するスサノオ(素戔嗚尊)と同一視されるようになる。スサノオが最初に降臨したのが、新羅の国の「曽尸茂梨(そしもり)」であったというところから、スサノオが朝鮮半島出身者であると、まことしやかに語られたことを思い出す。牛頭天王が北天竺の王であったというのとは矛盾するが、武塔神およびスサノオが、ともに朝鮮半島と接点ありとする伝承は、注視すべきである。

 

 また、かの「二六の秘文」なる秘法に代わるものとして、ここでは「茅の輪」が登場。これを腰に着けることで、災いから逃れられるとしている。今も多くの神社で6月30日頃に行われる「夏越の祓」、そこで行われる「茅の輪くぐり」の儀式は、この蘇民将来の伝承が由来とか。穢れを清めることで災厄を払って無事を祈るとの願いが込められているのだ。

 

 ちなみに、『鬼滅の刃』には、蜘蛛や鴉(からす)、雀、鼠などは登場するが、牛の出番はないようだ。動きが鈍重過ぎて絵にもならなかったからと推察できそうだが、その実、牛が本気で走れば時速20数㎞も出るらしいから、侮ることなかれ。

 

 また、ヒンドゥー教では、牛はシバ神の乗り物(ナンディン)として神聖視されていることも見逃せない。日本人にとっては恐ろしいとしか思えない牛頭天王の姿形も、彼らの目からみれば、神々しい面持ちで見つめるべき存在だったはず。そこから鑑みれば、この物語はインドの伝承などではなく、日本人が天竺に思いを馳せて、独自に作り上げたものだったとも考えられるのである。

 

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藤井勝彦ふじい かつひこ

1955年大阪生まれ。歴史紀行作家・写真家。『日本神話の迷宮』『日本神話の謎を歩く』(天夢人)、『邪馬台国』『三国志合戰事典』『図解三国志』『図解ダーティヒロイン』(新紀元社)、『神々が宿る絶景100』(宝島社)、『写真で見る三国志』『世界遺産 富士山を行く!』『世界の国ぐに ビジュアル事典』(メイツ出版)、『中国の世界遺産』(JTBパブリッシング)など、日本および中国の古代史関連等の書籍を多数出版している。

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