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鬼への生贄として育てられた蛇柱・伊黒小芭内(へびばしら・いぐろおばない)。それと同様、河童もまた虐げられた存在だったのか?


炭焼き職人の子として『鬼滅の刃』に登場する炭治郎は、山の民として虐げられた哀しい歴史を有している。さらに、鬼への生贄として育てられた伊黒をはじめとする鬼滅隊員や鬼たちにも、哀しい過去を背負った者たちが多かった。中国沿岸部からやってきた川の民、その象徴ともいうべき河童もまた、今日に至るまで虐げられ続けてきたのが実情である。しかし、その実態は、思いもかけぬ意外なものであった。


河童は実在するのか?

岩手県・遠野駅前の河童達

 頭にお皿、背中に甲羅、3本あるいは4本指に水かきといえば、いうまでもなく、水辺に出没する妖怪・河童のことである。キュウリが大好きで、人と出くわすとすぐに相撲を取りたがるという習性に加え、便所で踏ん張る女性のお尻をこっそり撫で回すという、ちょっぴり助平で且つお調子者である。悪戯が過ぎて懲らしめられることもあるが、そんな時でも手加減して逃してやると、義理堅くお礼にと魚を届けてくれることもある…とまあ、河童を目撃した人たちの話をまとめれば、おおよそこんなところだろうか。子供の尻子玉(詳細不明)を抜くとか、足首を掴まれて水中に引き込まれるだの、少々おっかない話が取りざたされることもあるが、大方のところは、滑稽な存在として語られることの方が多いようである。近年に至るまで目撃談が多いのも特徴的で、特に河童の聖地といわれる八代(熊本県)、遠野(岩手県)、牛久沼(茨城県)では、目撃者がわんさか登場して驚かされるほど。となれば、「河童は実在する」と断言していいのか?と問い詰められそうだが、実のところ、明快には答えられそうもない。ともあれ、歴史を紐解いて、その実像に迫ってみることにしたい。

 

岩手県。遠野のカッパ淵 祠

中国沿岸から海を渡ってきた渡来人?

 

 興味深いのは、『日本書紀』仁徳天皇11年の条に、その前身としての河伯(かはく)の名が記されている点である。河伯とは、元来は中国の史書『史記』にも登場する黄河に潜む竜のことで、生贄(いけにえ)が絶えると洪水を引き起こすと恐れられた川の神であった。仁徳天皇紀でも、茨田の堤を築こうとした際、この河伯に生贄を捧げたことが記録されている。当時は、川の神として崇め且つ畏れられた存在であった。

 

 この黄河流域に住んでいた河伯こと後の河童が、海を渡って九州の球磨川流域(河口は熊本県八代市)に移り住んだことが、球磨川のほとりに置かれた「河童渡来の碑」に記されている。今からおよそ15001600年前のことであった。ただし、ここでは、川の神ではなく、川辺にひっそり暮らす妖怪としての河童である。畏れ崇められた河伯の面影をここからかぎとることは、残念ながらできそうもない。この、神から妖怪への変貌が意味するものは何か? 何やら、そこに大きな秘密が隠れ潜んでいるような気がするのだが、解明は容易ではなさそうだ。

 

 ただし、球磨川流域に移り住んだという河童の実像は、およその見当はつきそう。おそらく、中国沿岸に暮らしていた水上居民たちが、黄海あるいは東シナ海を渡って八代湾沿岸にたどり着いた後、球磨川を拠点として住み続けていたことを言い表したものと考えられるからである。想像をたくましくすれば、それこそが倭人(わじん)であったというべきかもしれない。黄河流域に栄えた夏王朝6代目皇帝・少康の子が、長江下流の会稽(江南)へと移り住み、さらにそこから朝鮮半島南部を経て日本列島へと移り住んだことも十分考えられるからである。となれば、河童ばかりか日本人までもが、黄河流域が原郷とも言えるのだ。

 

チェロを弾く河童 (熊本県・肥後 上益城郡 御船町)

 

江戸城の築城に治水技術に長けた水上居民たちが活躍

 

 また、それから千数百年後の江戸時代初期のこととして伝えられる河童の親玉・九千坊(くせんぼう)の物語も興味深い。それは、肥後を治めていた加藤清正お気に入りの小姓が水死するという事件が発端であった。当時、西日本きっての河童集団を率いていたとして知られた九千坊、それが小姓の尻子玉を抜いて殺してしまったとみなされたようである。怒った清正が、九州中の猿を集めて河童たちを攻めたてたと伝えられているのだ。

 

 この場合の河童集団も、前述同様、水上居民たちのことで、清正にとって目障りとなった彼らを、猿ことならず者をかき集めて一掃しようとしたのではないか。挙句、安徳天皇を祀る水天宮の眷属(けんぞく)として仕えさせたというから、川の神も随分、成り下がったものである。

 

 また、江戸城の築城にあたっても、治水技術に長けた水上居民たちが活躍していたようである。いつの頃からか、九州から全国に散らばって暮らすようになっていたが、江戸城の整備のため、江戸へとかき集められたのだろう。数十年の後、お堀の建設が終了するとともにその多くは故郷へと帰っていったが、中には何らかの事情があって、そのまま江戸に定着する者がいたのだろう。隅田川あたりの川べりで、ほそぼそと暮らしていた人もいたに違いない。その彼らが、私財を投じて新堀川の水利工事を始めた合羽屋喜八に雇われて、人夫として働いたことがあった。この時の治水工事が幕府の許可を得たものでなかったところからか、咎められることのないよう、実在の人夫ではなく、妖怪としての河童が手助けしたことにしてしまったのではないか?

 

 つまるところ、河童とは、元はといえば日本人の源流ともいうべき中国南部からの渡来人であった。それが、後世、新たな渡来人(朝鮮半島からか)が押し寄せてきたことで居住地を追われ、水辺にひっそりと暮らさざるを得なくなった。その人々のことを言い表したのではないか? 河童とは神でも妖怪でもなく、私たち多くの日本人の同胞、あるいは日本人そのものと言うべきだという気がしてならないのである。

 

 ちなみに、『鬼滅の刃』に登場する炭治郎は炭焼き職人の子として登場するが、彼らも、川の民同様、山の民として虐げられた哀しい歴史を有している。そこに登場する鬼たちもまた、哀しい過去を背負った者たちばかりであった。鬼や妖怪と呼ばれて蔑(さげす)まされた者たちも、元をたどれば、多くの人々から隅へと追い立てられ、暗闇の中でひっそりと生きざるを得なかった人たちだったのではないか? 河童の正体を探るうちに、そんな思いがよぎるようになったのである。

 

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藤井勝彦ふじい かつひこ

1955年大阪生まれ。歴史紀行作家・写真家。『日本神話の迷宮』『日本神話の謎を歩く』(天夢人)、『邪馬台国』『三国志合戰事典』『図解三国志』『図解ダーティヒロイン』(新紀元社)、『神々が宿る絶景100』(宝島社)、『写真で見る三国志』『世界遺産 富士山を行く!』『世界の国ぐに ビジュアル事典』(メイツ出版)、『中国の世界遺産』(JTBパブリッシング)など、日本および中国の古代史関連等の書籍を多数出版している。

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