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「陸上軍艦」の戦艦を目指したがあまりの高額に挫折:A1E1インディペンデント(イギリス)

究極の「陸上軍艦」多砲塔戦車 第1回 ~ 戦場を闊歩する夢想の無敵巨大戦車 ~

3ポンド砲の主砲塔1基と銃塔4基を備えた高性能戦車だが造られたのは試作車1両のみ

 

A1E1インディペンデント多砲塔戦車の完成時の写真。たった1両しか造られなかったが、その1両は現在、イギリスのボービントン戦車博物館に展示されている。

 第1次大戦時、戦車が初めて戦場に姿を現した時、兵士たちはパニックとなり、恐怖心に駆られて塹壕(ざんごう)から飛び出し遁走(とんそう)するか、逆に恐怖に凍り付き、塹壕深くに身を沈めてただ震えていることしかできなかった。

 

 ところが、当時の戦車の不完全で弱点だらけの実情を知ってしまうと、兵士たちは今度は積極的に戦車に対する近接戦闘を挑むようになった。機関室に火炎瓶や集束手榴弾を叩きつけ、視察口や銃眼に拳銃弾を撃ち込むなどして「戦車狩り」を始めたのだ。

 

 このような事態を避けるには、戦車が自衛手段を備えればよい。かような発想に基づき、主砲塔以外に独立して戦闘可能な小砲塔や銃塔を備えた戦車が発想された。塹壕陣地を踏み越えて前進する戦車に敵の兵士が群がってきたら、これら小砲塔がそれを薙ぎ倒すのだ。戦車は当初「陸上軍艦」とも称されたが、本物の軍艦のように複数の砲塔を備えて、まさに陸上軍艦化しようというわけだ。

 

 かような流れの中で、戦車発祥の国であるイギリスでは、この多砲塔戦車とそれに付き従う護衛の小型戦車、つまり、まさに海軍での戦艦と駆逐艦の関係のような「陸上軍艦的運用」が考えられた時期があった。この時に登場したのが、ヴィッカース社が開発したA1E1インディペンデント多砲塔戦車である。

 

 第1次大戦後、イギリス陸軍は各種の軍用車両を装軌式か装輪式かの走行型式の違いや、装甲の有無などによりアルファベットで識別し、開発開始順にナンバリングすることにした。「参謀本部車両開発番号」と称されるこの整理システムを初めて適応されたのがこのインディペンデントで、原設計に対して最初に改修が加えられた設計なので、E1の番号が足されてインディペンデントはA1E1とされた。

 

 このインディペンデントは、車体前部の左右に銃塔を1基ずつ2基、車体中央やや前よりに主砲塔、そして主砲塔の後方の車体の左右にさら銃塔に1基ずつ2基と、合計で主砲塔1基と銃塔4基を備える多砲塔戦車として完成した。この4基の銃塔で、近づいて来る敵兵を撃ち倒し、主砲の3ポンド砲で敵の哨所(しょうしょ)や機関銃座、敵戦車を撃破するのだ。

 

 インディペンデントの試作車は1926年に完成して試験に供され、多砲塔戦車としては優れた性能を示した。しかし残念なことに、あまりにも高価で試作車が1両造られただけだった。

 

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白石 光しらいし ひかる

1969年、東京都生まれ。戦車、航空機、艦船などの兵器をはじめ、戦術、作戦に関する造詣も深い。主な著書に『図解マスター・戦車』(学研パブリック)、『真珠湾奇襲1941.12.8』(大日本絵画)など。

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