「ウドゥン・ワンダー(木の驚異)」一族の偵察型:デハヴィランド・モスキート高速偵察機
第2次大戦:蒼空を翔け抜けた「スパイ・アイ」 第8回 ~戦況を左右する敵情を探る「空飛ぶ目」 偵察機列伝~
圧倒的なスピードを誇る無武装木製機体を迎撃できたドイツ戦闘機は皆無だった

写真のモスキートは爆撃型だが、偵察型も大まかな外観はほとんど変わらない。爆撃照準を行うための機首の透明風防部分は、偵察型では目視偵察と手持ちカメラでの撮影などに活用された。爆撃型も偵察型も基本型は全くの無武装で、高速だけが最大の武器だった。
イギリス屈指の名門航空機メーカーであるデハヴィランド社は1938年、自社の独自開発で高速双発爆撃機の試案を作成した。当時、ヨーロッパではナチス・ドイツの国際政策に起因する戦雲が垂れ込めつつあり、航空機に不可欠なアルミニウムなどの貴重な軍需資材は、用途によって優先順位が割り振られていた。
ところが、デハヴィランド社が示した試案は機体を木材で造るというものであり、それであれば他の航空機の生産に悪影響を及ぼさないと見なされた。そして第2次大戦勃発後の1939年12月、喫緊(きっきん)に各種の軍用航空機が大量に必要となったイギリス空軍により、その開発が認められた。
木製の機体は軽量なうえ予想外に堅牢(けんろう)で、それに航空エンジンの傑作とも称される高出力のロールスロイス・マーリン液冷エンジン2基を搭載した本機は、なんとモスキート(蚊)と命名された。そして1940年11月の初飛行で、素晴らしい高性能ぶりを示した。
当初、モスキートをあまりあてにしていなかったイギリス空軍だったが、この結果を知ると、掌返しで本機の量産開始を急がせた。同空軍の要望する生産計画では、無武装の爆撃型と偵察型を皮切りに、それに続けて武装した夜間戦闘型と戦闘爆撃型を造ることになっていた。
島国で海洋国家でもあるイギリスは、伝統的に偵察を重視しており、同空軍は、モスキートの高性能ぶりを偵察機として最適と評価していたのだ。
こうして誕生したモスキート偵察型は、高高度飛行が可能でしかも速度も速かった。その理由は、無武装なので爆弾はもちろんのこと機関銃まで搭載していないので、とにかく機体が軽かったの一言に尽きる。何しろ、一時は本機をまともに迎撃できるドイツ戦闘機は皆無という事態となり、ドイツ空軍を慌てさせたのである。
しかも速いだけでなく、大量の燃料が搭載できるため、ノルウェーなどスカンジナヴィア半島方面はもちろん、ベルリンも含めたドイツ本土の偵察も容易にこなすことができた。このような理由で、イギリス本土に展開したアメリカ第8航空軍は、イギリス空軍からモスキートの提供を受けて偵察任務に重用したのだった。
モスキートは、その多用途性を評して「ウドゥン・ワンダー(木の驚異)」「永遠の万能機」などと称されることもあるが、この高い評価の中には、偵察機としての優秀性も含まれているのは当然である。