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ディーゼルエンジンを備えた超高空を飛ぶ目:ユンカースJu86高高度写真偵察機

第2次大戦:蒼空を翔け抜けた「スパイ・アイ」 第3回 ~戦況を左右する敵情を探る「空飛ぶ目」 偵察機列伝~

高度1万2000m以上の飛行が可能で戦闘機からの迎撃を回避

空気抵抗の削減を狙った滑らかな機首形状と、前面投影面積が少なくやはり空気抵抗が少ないユモ207A航空液冷ディーゼルエンジンを搭載したユンカースJu86P-1。本型は高高度爆撃機として運用された。

 ヒトラーによってドイツ再軍備宣言が発出される以前の1930年代前半、ドイツ航空省は爆撃機、輸送機、偵察機への転用が容易に行える機体を、旅客機や郵便機という民間機の名目で開発していた。

 

 そしてハインケル社とユンカース社で開発が進められることになり、前者はのちにドイツを代表する爆撃機として知られることになるハインケルHe111を開発した。

 

 一方、ユンカース社は自社製のユモ205航空用ディーゼルエンジンを搭載した双発の機体であるJu86を開発した。本機はHe111に比べてややクセのある飛行特性を持っていたため、翼型や胴体のデザインなどを調整してそれらの問題点を改善し、He111の補助として採用が決まった。

 

 また航空用エンジンとしてのディーゼルは、増減速に対する反応性がガソリン・エンジンに比べてやや鈍かったので急減速や急加速が求められる戦闘機には向かなかったが、粘り強く一定の出力を出し続けるエンジンが必要な輸送機や爆撃機には適していた。

 

 しかもユンカース社は、当時としては新技術だったターボチャージャーを取り付けることで高出力化と高高度性能の向上を図っていたので、He111とはまた違った意味でこの点を評価されていた。

 

 そこでユンカース社は本機の特徴を生かすべく、当時としては画期的だった与圧室を組み込むことにして、いっそうの高高度飛行を可能とする方向で開発を進めた。というのも、当時の戦闘機は高度1万メートル以上での飛行が困難だったからで、もしそれ以上の高高度の飛行が可能なら、戦闘機の迎撃を受けずに済むからだった。

 

 こうして、より高出力でターボチャージャーを装備したユモ207A航空液冷ディーゼルエンジンが開発され、G型を改造した与圧室を組み込んだ機体と組み合わされてJu86P-2が完成した。本機は高度1万2000メートル以上を飛行できるため、1940年の実戦配備開始時は、戦闘機に迎撃されることなく敵地の写真偵察が可能で、長距離偵察機として高い評価を得た。

 

 しかし連合軍側もJu86P-2を迎撃すべく高高度飛行が可能な戦闘機を開発し、1942年になると、高高度戦闘用に改造されたスピットファイアが初めて本機の撃墜に成功。以降、撃墜されるケースが逐次増加したため、翌43年になるとJu86P-2単独での敵地深部への高高度偵察飛行は行われなくなった。

 

 そこでJu86P-2に代えて、さらに高高度の15000mを飛行可能なJu86Rが生産されて実戦運用されたが、本機をも迎撃可能な戦闘機が出現するに及び、Ju86シリーズによる高高度偵察飛行は事実上終了した。

 

 しかし、ターボチャージャー付航空ディーゼルエンジンと与圧室を装備し、長距離高高度偵察飛行に先鞭を付けたJu86の功績は高く評価されている。

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白石 光しらいし ひかる

1969年、東京都生まれ。戦車、航空機、艦船などの兵器をはじめ、戦術、作戦に関する造詣も深い。主な著書に『図解マスター・戦車』(学研パブリック)、『真珠湾奇襲1941.12.8』(大日本絵画)など。

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