パンツァートルッペンを助けた双胴の翼:Fw189ウーフー
第2次大戦:蒼空を翔け抜けた「スパイ・アイ」 第6回 ~戦況を左右する敵情を探る「空飛ぶ目」 偵察機列伝~
低空域での安定した飛行特性からソ連地上軍の監視偵察で活躍

フォッケウルフFw189ウーフー。中央胴体後方の四周を囲まれた部分から空が見える。ソ連兵が本機を「額縁」のあだ名で呼んだ理由がよくわかる。
第1次大戦敗戦後の雌伏の時代を経て、1935年3月16日の再軍備宣言により再び軍事大国への途を歩み始めたドイツは、パンツァートルッペン(装甲部隊)を中心に据えた新生陸軍の構築に邁進していた。
その陸軍にとって、特に重要なのが敵状の偵察であった。敵地の地形、敵陣地の様子、敵部隊の配置など、陸軍が攻勢、または防勢を開始する前に、何としても知っておきたい事柄である。
そこでドイツ空軍は、そういった情報を空から収集するための戦術偵察機兼汎用機を求めることにした。この戦術偵察機計画には2社が応募したが、結局、採用に至ったのはフォッケウルフ社が開発したFw189であった。
後年、優秀な夜間戦闘機として知られることになるハインケルHe1219と同じウーフーの愛称を先に与えられたFw189は、アメリカのロッキードP-38ライトニングやノースロップP-61ブラックウィドウと同じ双胴機である。
前端にエンジンを備え、後端に垂直尾翼が設けられた左右の胴体の間に、乗員が乗るための中央胴体が置かれた設計で、下から見上げると左右の胴体と中央胴体、そして左右の胴体の間をつないでいる水平尾翼に囲まれた空間が、まるで額縁の中の絵画のように見えることから、敵のソ連軍はFw189を「額縁」というあだ名で呼んだ。
中央胴体にはパイロット、偵察員、無線手の3名が搭乗するが、後二者は機関銃手も兼ねている。
最大速度は時速約350キロと決して速くはないが、気流の乱れなどで荒れやすい低空域における飛行特性が安定しており、偵察機としては好適であった。ただし巡航高度が比較的低めなので洋上偵察などには不向きで、専ら東部戦線でソ連地上軍の動向の監視や偵察などで活躍した。
ソ連軍には低空域をカバーする機動性の高い対空火器が少なかったのでFw189は対空砲火にかんしてはそれほど気にすることなく偵察飛行ができた。だがソ連戦闘機は全般的に低高度での空戦性能が優れていたため、危険な空域への出撃に際しては、メッサーシュミットBf109やフォッケウルフFw190といった戦闘機の護衛をともなうケースも稀ではなかった。
運用開始は1940年から。総生産機数は864機と少ないが、少量だが爆弾も搭載できるので、いわゆる「嫌がらせ爆撃」や偵察ついでの爆撃などもすることができ、運用部隊での評価は概ね良好だった。