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貧乏旗本が祀ったのは「貧乏神」!? 誠実すぎる対応が福を呼んだサクセスストーリー

世にも不思議な江戸時代⑮


先祖代々貧乏な旗本がいた。しかし、彼はそれを嘆くことなく、家族が健康で仲が良いことは、貧乏神のおかげだとお礼のためお祀りした。


 

■誠実な薬屋の願いは観音様に届くのか……

 

 小石川にひとりの旗本がいた。旗本と一口にいってもいろいろといる。参勤交代をし、大勢の家来を抱え、後一歩で大名なれるような大身と呼ばれる者もいる一方で、石高が御家人よりも低く、日々の食べ物にも事欠くような貧しい者もいた。この旗本は後者で、先祖代々貧乏な暮らしを続けていた。そのため、したいと思うことができず、食べたいと思う物も食べられないという生活を送り、遊ぶことなどは考えられないようだった。

 

 毎日苦労しながら生活しているその旗本は、せめて親子が心置きなく人並みの食事をとることができたらと願うくらいで、大きなのぞみを持ってはいないという人柄だった。

 

 ある年の暮れのこと。この旗本は生活をさらに切り詰めるなどして無理やり金をひねり出し、絵師に頼んで貧乏神の姿をあまり大きくない絵に描いてもらった。それを掛け軸に仕立てて床の間に飾り、米や酒など供えてこう祈った。

 

 「私の家では先祖代々貧しい生活を送っております。そのため諸事、思うようにならないこともあります。これはしかたのないことと考えております。しかし、貧乏はしておりますが、幸いなことに私を含め家族は皆病気ひとつせず健康です。悪いことをしていないので人に怨まれることも、憎まれることもありません。家内は円満で、仲が良く、貧乏という以外に心配事はありません。これもあなた様がお守りしてくださっているからだと思われます。数代にわたって私の家を守っていただいたお礼に、何とかしてあなた様をお祀りするお宮を建てたいと思っております。お宮を建立したら末永くあなた様を崇拝していきたいと考えております。ですから少しは貧しさから福へと移るようにお守りください」

 

 その後この旗本は言葉の通り、狭い屋敷の中に身分不相応なほど立派な祠を建てた。この祠の中に絵師に描いてもらった貧乏神の掛け軸を御神体として祀り、朝夕丁重に祈った。その御利益だろうか。生活も少しは楽になったように思われた。

 

 さてこの旗本は、貧乏神のおかけで少しゆとりが出きたのだろう、自分と同じような境遇の人が相当数いるのではないかと思いついた。そして今貧乏神から受けている御利益をその人たちに分けてあげたいと考えるようになった。

 

 この旗本の屋敷の近くには牛天神があった。旗本は牛天神の別当と親しくしていたので、屋敷内の祠を牛天神の近くに移したいと相談したところ、それは面白いという話になった。そして、すぐに牛天神へ祠を移した。安永(17721780)頃のことである。

 

 この祠にお参りして貧乏を免れるよう祈ると、霊験あらたかだと評判になり、多くの人が参拝に訪れているという。

 

 なお、この貧乏神の話であるが、次のような異説もある。

 小石川にある旗本が住んでいた。貧乏だが幸せに暮らしていた。ある晩、夢の中に貧乏神が現れて「居心地がよいのでこの家に長い間いたが、引っ越すことにした。赤飯と油揚げを供えて祀れば福を授ける」といった。旗本はいわれた通りにしたところ、やることなすことうまく事が運び、貧乏ではなくなった。このお礼に旗本は、貧乏神の像を彫って牛天神に納めたという。

牛天神
地下鉄後楽園駅の近くにあり、梅の名所として人々に親しまれている。神社の境内には、ここに祀られている神様が貧乏な旗本を救ったという説明板が立っている。

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加唐 亜紀

1966年、東京都出身。編集プロダクションなどを経てフリーの編集者兼ライター。日本銃砲史学会会員。著書に『ビジュアルワイド図解 古事記・日本書紀』西東社、『ビジュアルワイド図解 日本の合戦』西東社、『新幹線から見える日本の名城』ウェッジなどがある。

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