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「化け物が出る部屋」で起きた不思議なできごと 「自分の寿命を伝えた老人」の正体とは?

世にも不思議な江戸時代⑪


大名に召し抱えられた儒者は、訳あって化け物がでるという部屋に住むことになった。だが、儒者が入居した晩に現れたのはひとりの老人だった。


 

■儒者と「化け物」の奇妙な友情

 

 寛政6年(1794)、幕府の寺社奉行を務める某大名が、新たに儒者を召し抱えた。召し抱えられた儒者は、大名の下屋敷に部屋を賜った。大名が住む上屋敷は江戸城近くにあり、下屋敷は江戸郊外にあった。この儒者はかなり高齢だったので、上屋敷で大名に講釈してから下屋敷に帰るのはつらい。そこで、上屋敷に代えていただけないかと申し出た。ところが、上屋敷は大勢の人が住んでいるため空部屋がない。ただ、ひとつだけ、誰も住んでおらず、物置となっている部屋があった。

 

 この部屋が物置になっているのは、化け物が出るという噂があるからで、手入れも行き届いてはいなかった。大名は、儒者にこんなところを与えては申し訳ないといったのだが、儒者は妻子もなく自分ひとりだから気にしないと訴えた。本人たっての希望ということで、その部屋を掃除して移ることになった。

 

 儒者が化け物がでるという部屋に移ったその日の晩

「隣に住む者です。どうぞよろしく」

とひとりの老人があいさつして、部屋に上がってきた。儒者が引っ越した部屋は、上屋敷のはずれにあり、隣に部屋はない。これが噂の化け物かと儒者は思ったが、話してみると珍しい事を覚えている。しかも天正(15731591)の頃のことにも詳しい。儒者は、この者が化け物かもしれないということを忘れ、良い友人を得た、ここに越して来てよかったと思うようになった。

 

 毎晩、楽しく語り合い、半年ほどしたある夜、この老人が

「これまで申し上げませんでしたが、私は人間ではありません。長い事この屋敷に住み着いている狸でございます。今まで心やすくお付き合いしていただきましたが、間もなく命が尽きます。もうここにお邪魔することないでしょう」

と話す。

 

 儒者は、老人はやはり人間ではなかったと思ったが、それよりも昨日まで元気で、命がつきるようには見えない。不思議に思って問うと

「昨年まではみんなの台所に落ちた食べ物などがありまして、それを食べていました。ところが最近は倹約されるようになってそのような食べ物も少なくなり、そのせいか次第に気力も衰えてしまいました」

「それならば、私の食事を分けて差し上げましょう。病気ならば医者にも見せましょう」

「そのようしていただいても助かるものではありません。命が尽きたのです」

と老人は首を横に振る。

「では、懇意にしていただいたお礼に、あなたがお好きなものを差し上げましょう」

儒者の言葉に老人は申し訳なさそうに答える。

「では、餅をお願いします。明晩参りますが、もう人になるのはつらいので、狸の姿で参ります。今までのような挨拶は無用でございます」

老人はそう言い残すと寂しそうに去っていった。

 

 翌日の夜、儒者は手に入れた餅を土間に置いた。やがて午前0時ごろ、一匹のやせ衰えた狸が、縁の下からよたよたと土間にやってきた。毛並につやがなく、ところどころ抜けている。狸は時々つかえたように咳をしながらゆっくりと餅を食べた。儒者はその姿を見ながら別れを惜しんだ。餅を食べ終わり、縁の下へと引き上げて行った狸はそれから一度も姿を見せなかった。

 

 その後、儒者は狸にまつわるこれまでのことを大名へ涙ながらに話した。大名は思わずもらい泣きして、家来たちに命じて縁の下をはじめ、上屋敷の中を探させたが狸は見つからなかったそうだ。

「色絵狸炉蓋」仁阿弥道八作/東京国立博物館蔵:提供ColBase
狸が得意としていた僧に化けた姿を想像してつくられた炉の蓋。作者の道八は彫塑技術に優れており、その技術を活かして動物をかたどった作品を多く残している。

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過去記事

加唐 亜紀

1966年、東京都出身。編集プロダクションなどを経てフリーの編集者兼ライター。日本銃砲史学会会員。著書に『ビジュアルワイド図解 古事記・日本書紀』西東社、『ビジュアルワイド図解 日本の合戦』西東社、『新幹線から見える日本の名城』ウェッジなどがある。

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