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車窓から見えるあの「大仏」はいったい!? 夢のお告げにより戦後に造立された町のシンボルを求めて

神社仏閣好きラノベ作家 森田季節の推し寺社ぶらり【第41回】


地元で慕われている布袋の大仏様

■建物と一体化した大仏様

 

 今回取り上げるのは布袋(ほてい)の大仏です。布袋様だったら厳密には仏様ではないんじゃないかと思われるかもしれませんが、この場合の「布袋」は地名です。名古屋の市街地から国宝犬山城のある犬山市へと向かう名鉄犬山線。こちらの車窓から大仏が見えるのはご存じでしょうか? 犬山線が利用者の多い通勤路線ということもあり、けっこう認知されている大仏様ですが、一度現地へ参拝に出かけてみました。

 

 布袋駅から住宅街というよりも歴史的景観といったほうがいい雰囲気の街の中を進んでいきます。しばらく歩いていくと「布袋大仏接骨院」の看板が目に入りました。布袋大仏というのは車窓からも見えるあの大仏様で間違いないと思いますが、接骨院とは?

 

布袋大仏接骨院の看板

 近くの案内看板によると、昭和24年(1949)に夢のお告げを受けた鍼灸医の前田秀信さんが私財をなげうって、昭和29年に完成したのが現在の大仏――御嶽薬師尊(おんたけやくしそん)とのこと。大仏の背後はそのまま建物と一体化しています。

 

 改めて近づいて大仏様のご尊顔を拝むと、想像以上に大きいなと感じます。車内からだとサイズ感がわかりづらいですが、高さ18メートル。それを戦後の混乱が残る頃から造立を始めて、完成にこぎつけるまでには並々ならぬ苦労があったと思われます。

 

 造仏という行為は大昔、貴顕(きけん)が仏教の信仰を示すアクションの一つでした。しかし、戦後になってからもそれを個人が成し遂げるというのは並大抵のことではありません。しかも動機も夢のお告げ。どことなく説話的な世界観がこの大仏様の周辺で成り立っているように思えます。

 完全な個人の造仏事業がいまだに周辺のシンボルや観光スポットになっていることを思うと、行動力って本当に大事なんだなと実感させられます。

寛永元年(1624)に再建された宮後八幡社

 さて……布袋の大仏自体はいろんな媒体でも取り上げられています。とくにサングラスをかけているように撮影できる場所もあり、その写真を目にしたことのある方も多いのではないでしょうか。

 せっかくなので、周辺のほかの寺社なども紹介いたします。同じ江南市の曼陀羅寺は多数の文化財を要する大寺院です。宮後(みやうしろ)八幡社は建物も古いですが、蜂須賀家の屋敷跡のすぐ近くにあります。この神社の本殿は阿波徳島藩主の蜂須賀家政の手による再建なので、蜂須賀家の屋敷があったというのも事実に近そうです。江南駅から徒歩でも少し遠いもののアクセスできます。布袋の大仏と一緒にご参拝ください。

 

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森田季節もりたきせつ

1984 年生まれ、兵庫県出身。作家。東北芸術工科大学特別講師。京都大学文学部卒業、京都大学大学院文学研究科修士課程中退(日本史学専修)。大学院在学中の2008年、『ベネズエラ・ビター・マイ・スウィート』で第4回MF文庫Jライトノベル新人賞優秀賞を受賞してデビュー。主な著書に『スライム倒して300年、知らないうちにレベルMAXになってました』(GAノベル)、『物理的に孤立している俺の高校生活』(ガガガ文庫)、『ウタカイ 異能短歌遊戯』(ハヤカワ文庫)などがある。

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