室町幕府を打ち立てた【足利家】はどんな家でどんな歴史をもったのか、幕府滅亡後はどうなったのか?【戦国武将のルーツをたどる】
戦国武将のルーツを辿る【第13回】
日本での「武士の起こり」は、遠く平安時代の「源氏」と「平家」に始まるという。「源平」がこれに当たるが、戦国時代の武将たちもこぞって自らの出自を「源平」に求めた形跡はある。だが、そのほとんどが明確なルーツはないままに「源平」を名乗ろうとした。由緒のあるか確たる氏素性を持った戦国大名は数えるほどしかいない。そうした戦国武将・大名家も、自分の家のルーツを主張した。絵空事も多いが、そうした主張に耳を貸してみたい。今回は室町幕府を開府した[足利家]の歴史にせまる。

足利市の足利尊氏銅像
平安時代から「天下の四姓」とされたのが、藤原・橘・源氏・平氏の4家であった。なかでも藤原氏は公家の名門として1千年以上の伝統を誇ったが、清和源氏は鎌倉幕府以来、その後の室町時代から戦国時代にかけて名家・名族の流れにあった足利が「天下」を掌握してきた。
平安時代、「前九年・後三年の役」などで知られる河内源氏の棟梁・源義家の4男・義国が、下野国(栃木県)足利荘を領し、その二男・義康が初めて「足利」姓を称した。足利氏の始祖である。ちなみにいえば、義康の兄で義国の嫡男・義重は同じ下野国新田郡を領して「新田氏」を名乗った。いわば、新田氏の方が足利氏よりも源氏の嫡流といえる。
しかし、その後に源氏の棟梁となった源頼朝に従った足利氏は、鎌倉幕府の創設にも関わり、そうした功から鎌倉時代には、上総・三河2カ国の守護になっている。頼朝の血筋が絶えると執権・北条氏が幕府の実権を握った。足利氏は、北条氏とも姻戚関係などを結んで、本家の嫡流・新田氏を凌ぐ強力な一族になった。
義康から8代目の足利髙氏(尊氏/たかうじ)は、後醍醐天皇の挙兵に応じて執権・北条氏による鎌倉幕府を、新田氏などと力を合わせて滅ぼした。その後、天皇と対立した尊氏は、天皇方に付いた新田義貞を討ち、征夷大将軍に任じられ、京都に、室町幕府を開いた。天皇との対立は、南北朝(南北の2つの朝廷・2人の天皇)という形で続き、3代将軍・義満の時代になってやっと南北は合一された。
その後、室町幕府はいくつかの内乱などを経る。足利義満(よしみつ)の時代には、明徳の乱(1391)では山名氏を、応永の乱(1399)では大内氏を追討するなどして将軍の権威を高めた。しかし8代将軍・義政の時代に起きた応仁・文明の乱(1467~1477)で将軍の権威は失墜する。これ以後、幕府の実権は管領・細川政元に握られ、13代将軍・義稙(よしたね)は、政元によって将軍を解任されるという不祥事にまで至る。政元死後はその家臣であった三好長慶が政治の実権を握った。この長慶没後「剣豪将軍」といわれる13代将軍・義輝は、権力を奪回しようと計るが逆に長慶の家臣・三好三人衆と松永弾正によって殺されてしまう。
この前後に台頭してきた織田信長によって庇護された義輝の弟・義秋(義昭/よしあき)は、その支援を受けて15代将軍に任じられる。こうして、足利家に戻った「天下」は、しかし信長によって傀儡政権とされてしまう。
織田信長と不仲になった義昭は信長に反旗を翻し、武田信玄や毛利元就、上杉謙信など各地の戦国武将に支援を求めて信長との対立を深める。その結果、元亀4年(1573)京都から追放されてしまう。この時点で足利幕府は滅亡とされているが、義昭は各地を流浪すし最終的には備後国(広島県東部)鞆に移り住み、足利幕府(将軍)を存続した。本能寺の変の後に政権を握った豊臣秀吉のはからいで京都に戻った義昭は、1万石を支給され、出家して「昌山道休」と号してやっと将軍職を退いた。慶長2年(1597)、義昭は大坂で61歳の生涯を閉じた。
だが、名門・足利氏の滅亡を惜しんだ秀吉は、義昭が生存中の天正18年(1590)小田原征伐で後北条氏を滅ぼした後、5代古河公方になっていた北条氏康の甥・義氏の婿である足利国朝に足利氏の最高を許し、下野国喜連川5千石を与えている。この際に「喜連川氏」とした。江戸時代になっても、名家の末裔として喜連川氏は、5千石の旗本でありながら10万石格の待遇を受けて明治維新を迎えている。そして、維新後に「足利」に復姓した。
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