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「なんだ⁉ このヌメヌメした銅鏡は!」 何百年も伝世された鏡はなぜ「空白の4世紀」に造られた古墳で出土したのか


私事ですが、わが家には何百年も受け継がれたお宝はありませんので、伝世した宝物がどんなふうに様変わりしていくのかわかりませんが、今回は大切にされてきた銅鏡の話題です。


 

■富雄丸山古墳から見つかった謎だらけの鏡

 

 新築した家も30年経てば外観も色が褪せたり、内装もくすんだりしてくるものです。毎日暮らしている家をあらためて見てみるとやはり劣化が目立ちますので、50年経ったらどうなるのかと思うことがあります。

 

 100年以上昔に建てられた文化財級の学校校舎などの木造建築を見学すると、立派に飾られた大きな木造階段の手すりが毎日大勢の人に触られてきたので、人工的に造れない鈍い艶で光って穏やかな丸みを帯びたりしています。

 

 硬貨を見ても、摩耗して模様のエッジが丸くなった物を見かけます。100円玉でも昭和40年代の物と令和の物では光り方もくすみ方も全然違います。人から人へ長年旅をした100円硬貨は自動販売機の機械の中を通過したり、財布の中でほかの硬貨と擦れあったり、道端に落とされて雨風にさらされていたりしたことでしょう。その結果摩耗して、いわゆる「時代が出る」という姿になります。

1967年から使われ続けて摩耗した100円硬貨(部分)

 突然話は2000年ぐらい遡りますが、富雄丸山古墳で発見された3枚の銅鏡のクリーニングが終わってすぐに展示された機会に、橿原考古学研究所付属博物館で拝見しました。

展示公開された虺龍文鏡(きりゅうもんきょう)の実物。まだ保存処理をされる前の状態で、長年磨かれたからであろうヌメヌメ感がよく出ている。
撮影:柏木宏之

 今回展示されたのは、富雄丸山古墳の造り出し部に埋葬されていた割竹型木棺の中から発見された3枚の銅鏡で、一番上が3世紀の魏鏡だと思われる「三角縁神獣鏡」、真ん中の二番目にあったのが一番古い前漢鏡の「虺龍文鏡(きりゅうもんきょう)」、そして一番下にあった3番目が後漢鏡の「画像鏡」でした。

 

 同じく富雄丸山古墳で発見された「鼉龍文盾形鏡(だりゅうもんたてがたどうきょう)」と長大な「蛇行剣(だこうけん)」は4世紀後半の倭製だとされています。つまり発見された銅鏡の製造年代は、最大紀元前1世紀から4世紀後半の期間だという事になります。少なく見積もっても400年間という長い時間を示すわけです。富雄丸山古墳調査からは驚きの連続が発表されますね。

 

 やはり皆さんの関心は一番古い虺龍文鏡に集まるのではないでしょうか。私もそうです。何千キロも離れたウズベキスタンの紀元前1世紀と考えられているサマルカンド遺跡からも同時代の虺龍文鏡が出土していますから、この銅鏡の研究は非常に重要なのかもしれません。

 

クリーニングが終わっただけのこの3枚の鏡を拝見して、まず一番の違和感は虺龍文鏡だけがヌメヌメとしている印象でした。「なんだ?このヌメヌメした感じは???」というのが一番強い印象でした。

 

 そこでさまざま考えた挙句、「これは数百年間、毎日のように柔らかい高級な布で表裏共に磨かれてきたからだ!」という結論に達しました。「ただ大切に伝世したのではなく、一点の曇りや汚れも許されない超貴重な宝物銅鏡で、ずっと毎日使用が続けられたものだ!」という結論に達したのです。

 

 しかしそんなに大切にされた一番古い銅鏡があとの2枚と重ねられて、しかも鏡面を上にして、そのうえ被葬者の足元に副葬された事情がさっぱり分からない!という大きな謎が残ります。

 

 これは長年の役割を終えたのでもう不要、もしくは不吉な物として逆さに埋納されたのか?という疑いを持ちます。このコウヤマキの割竹型木棺に埋葬された人物の副葬形式が、敢えての頭足逆転に感じるのです。朱の塗られた部分が頭部だとすれば、櫛の場所も宝物であろう伝世銅鏡も、足側に副葬されているのです。それに発見された銅鏡4種が、すべて鏡面を上にして発見されているという珍しい事実。

何もかもが、これまでに見たことも無い状況を呈しているのです!

 

 前漢鏡の虺龍文鏡は元々どのように伝来してきたのでしょうか? 大陸から被葬者の家系の先祖が大切に持ち込んだのでしょうか? なぜそんなに大切にされた銅鏡が4世紀後半にこの巨大円墳の造り出し部に収められたのでしょうか? ストーリーが広大すぎてさっぱりわかりません。皆さんはどんな推理をなさいますか?

4世紀から5世紀代の古墳群と富雄丸山古墳の位置関係
(河内地域に大古墳が進出する直前に大和への出入り口を守るような位置に造営されたのか?)
GoogleEarthを著者が編集

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柏木 宏之(かしわぎ ひろゆき)
柏木 宏之かしわぎ ひろゆき

1958年生まれ。関西外国語大学スペイン語学科卒業。1983年から2023年まで放送アナウンサー、ニュース、演芸、バラエティ、情報、ワイドショー、ラジオパーソナリティ、歴史番組を数多く担当。現在はフリーアナウンサーと同時に武庫川学院文学部非常勤講師を務め、社会人歴史研究会「まほろば総研」を主宰。2010年、奈良大学通信教育部文化財歴史学科卒業学芸員資格取得。専門分野は古代史。歴史物語を執筆中。

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