×
日本史
世界史
連載
ニュース
エンタメ
誌面連動企画
歴史人Kids
動画

スターリンに北海道侵攻を諦めさせた精鋭「士魂部隊」戦車連隊の神様が率いる「戦車第11連隊」が防波堤となる!

戦後80年特別企画


日本が戦争終結を決め、武装解除に向けて準備を進めている中、突如として日本領の千島列島北東端の島、占守島(しゅむしゅとう)に攻め込んできたソ連軍。その目的は、千島列島全島占拠だけにとどまらず、北海道を手中に収めようとしたスターリンの野望を叶えるためであった。だがその前に毅然と立ち塞がり、北海道がソ連に侵されるのを防いだ武士(もののふ)たちがいた!


池田末男大佐(戦死後少将に進級)は陸軍憲兵少佐池田筆吉の五男。兄の廉二は陸軍中将。戦車学校教官時代の教え子に司馬遼太郎がいて、司馬は池田から大いに薫陶を受けたことを後年語っている。占守島赴任の際の持参荷物は柳行李ひとつだった。(写真は中佐時代)

 樋口中将の命令を受け、最前線で戦ったのが池田末男(いけだすえお)大佐率いる戦車第11連隊であった。「士魂部隊」という愛称を持つ精鋭部隊で、士魂は11を漢字で書くと十一、合わせると士となることから、この名称となった。隊長の池田大佐は戦車学校の教官も務め「戦車連隊の神様」と呼ばれた熟練の戦車乗りだ。

 

 戦争が終わり故郷に帰れると考えていた部下たちに、池田大佐は「赤穂浪士となって恥を忍んでも将来に仇を報ぜんとするか、あるいは白虎隊となり玉砕をもって民族の防波堤となり後世の歴史に問わんとするか」と質した。そして「赤穂浪士たらんとする者は一歩前に出よ、白虎隊たらんとするものは手をあげよ」と呼びかけた。

 

 すると「おうっ」と、全員が手を挙げたのであった。愛する家族が暮らす祖国を守るため、自分たちが「防波堤」となる決意を示したのである。それは、生きて家族の元に帰れないことを、覚悟したことでもある。池田大佐は涙を浮かべ礼を述べると「士魂部隊の最期を飾るにふさわしく勇戦奮闘し、敵を水際で殲滅せん」と、出撃命令を下している。

 

 池田大佐という人物は、極寒の占守島に着任以来、ずっと自分の下着は自分で洗濯していた。当番兵が恐縮していると「貴様は俺に仕えているのか? 国に仕えているのだろ」と諭している。池田は戦車学校の教官時代から、部下に大変慕われていた。それは地位に驕ることなく、戦いとなると鬼神の働きを見せる姿に、心酔する者が多かったからだ。

57mm砲を搭載した九七式中戦車(チハ)と、足が速いことで第11戦車連隊に配備されていた九五式軽戦車からなる機甲部隊の演習風景(撮影地不明)。占守島における戦いでも、このように戦車が一列になりソ連軍に大きなダメージを与えた。

 池田大佐は故郷に帰る夢を脇に置いて、再び戦車に向かう将兵の姿に、心の中で深く頭を垂れ隊長車に乗り込んだ。そして号令とともに先陣を切る。まさに指揮官先頭の見本だった。池田大佐が司令部に送った訣別の電信は「池田連隊はこれより敵中に突入せんとす。祖国の弥栄(いやさか)を祈る」というものであった。

 

 戦車第11連隊には九七式中戦車39両(新砲塔チハが20両、旧砲塔チハが19両)、九五式軽戦車25両が配備されていた(戦車の数や種類には別の証言もある)。これらの戦車はお世辞にも強力とは言えない。装甲の薄い箇所だと、歩兵の銃でも射貫かれるほどであったが、池田大佐以下、戦車第11連隊の将兵は非力な戦車を強靱な精神で操って、ソ連軍を撃退したのである。しかし池田大佐は帰ってこなかった。停戦が成立した後、見つかった隊長車の中で、壁面にもたれた立ち姿の状態で亡くなっているのが確認された。

 

 この戦いは8月21日に日本側が降伏文書に署名し終結した。だが死傷者数は日本側の600人程度に対し、ソ連側は3000人以上と言われている。勝った方が降伏したことと、降伏後に日本の将兵は不当に抑留され、シベリアで強制労働の末に多くの人命が失われた不条理を、多くの日本人が知らないことは残念でならない。ただこの戦いで見せた日本軍の頑強さが、スターリンに北海道侵攻を諦めさせる要因となったのが救いと言えよう。

 

 現在、北海道に配備されている陸上自衛隊の第11戦車大隊は「士魂戦車大隊」と称している。これは陸軍戦車第11連隊の占守島での奮戦と活躍を顕彰し、その精神と伝統を継承する意味で名付けられたのである。

 

第11戦車隊の主力装備である90式戦車の演習風景。ソ連の侵略から国土を守った陸軍第11戦車連隊「士魂部隊」の精神と伝統を継承し、車体に「士魂」のマークを掲げている。 写真提供:陸上自衛隊

 

前編/玉音放送の3日後にソ連軍の奇襲…故郷に帰れず理不尽な敵に立ち向かわざるを得なかった「占守島の戦い」

KEYWORDS:

過去記事

野田 伊豆守のだ いずのかみ

1960年生まれ、東京都出身。日本大学藝術学部卒業後、出版社勤務を経てフリーライター・フリー編集者に。歴史、旅行、鉄道、アウトドアなどの分野を中心に雑誌、書籍で活躍。主な著書に、『語り継ぎたい戦争の真実 太平洋戦争のすべて』(サンエイ新書)、『旧街道を歩く』(交通新聞社)、『各駅停車の旅』(交通タイムス社)など。最新刊は『蒸気機関車大図鑑』(小学館)。

 

最新号案内

『歴史人』2025年10月号

新・古代史!卑弥呼と邪馬台国スペシャル

邪馬台国の場所は畿内か北部九州か? 論争が続く邪馬台国や卑弥呼の謎は、日本史最大のミステリーとされている。今号では、古代史専門の歴史学者たちに支持する説を伺い、最新の知見を伝えていく。