世界各国で長期間運用された傑作機【ホーカー・ハンター】
ジェットの魁~第1世代ジェット戦闘機の足跡~ 【第31回】
ジェット・エンジンの研究と開発は1930年代初頭から本格化し、1940年代半ばの第二次世界大戦末期には、「第1世代」と称されるジェット戦闘機が実戦に参加していた。この世代のジェット戦闘機の簡単な定義は「1950年代までに開発された亜音速の機体」。本シリーズでは、ジェット戦闘機の魁となったこれらの機体を俯瞰(ふかん)してゆく。

スウェーデン空軍が運用するハンター。同機はイギリス空軍での第一線運用期間よりも、外国の空軍での第一線運用期間のほうが長かった。
イギリスのホーカー社が開発したハンターは、後退翼こそ備えているが亜音速の第1世代ジェット戦闘機である。しかしイギリス以外の国々での就役期間が長かったせいで、第1世代戦闘機とは思われていない面もある。
ハンターが開発された背景には、第二次世界大戦中に実用化されたグロスター・ミーティアの旧式化の問題があった。同大戦中に実戦配備されて以降、ミーティアはイギリス空軍の主力戦闘機として多数が運用されていたが、各国で新設計の第1世代ジェット戦闘機各種が登場するに至り、後継機が必須となったからだ。しかもミーティアの次に登場したデハヴィランド・ヴァンパイアでは、それまでのミーティアの任務のすべての継承は難しかった。
ハンターが、アメリカのノースアメリカンF-86セイバーやソ連のMiG-15ファゴットのようにジェット・エンジンのエア・インテークを機首に設けず、グラマンF9Fクーガーのように後退翼の主翼付根に設けたのは、機首に測距レーダーと武装を集中配備するためだった。
この設計のおかげで、ハンターは機首下面にガン・パック式で30mmADEN機関砲4門を装備することができた。同機関砲は、当時の亜音速ジェット戦闘機同士の空戦では十分な威力があり、おまけに地上掃射時にも30mm弾は効果的であった。
ハンターが制空戦闘機としての役割を終えてからも、各国で戦闘爆撃機として運用され続けたのは、兵装搭載量が大きかったことに加えて、この30mmADEN機関砲の地上掃射威力も影響している。
初飛行は1951年7月20日。新型機である以上、導入時の初期不具合こそ生じたものの、それが解決されたあとのハンターは、機動性に優れ堅牢で、整備も容易なので高い評価を受けた。
そのためイギリス空軍では退役したあとも、世界各国の空軍で運用が続けられ、その数は21か国にものぼる。すでに軍用としてはすべての国で退役しているが、民間航空リース会社や個人が所有する機体は、現在も運用され続けている。