人の食料に味をしめた熊の脅威 ヒグマに狙われ襲撃された学生たちの恐怖の3日間
歴史に学ぶ熊害・獣害
先日、北海道・知床半島にある羅臼岳で登山客の男性がヒグマに襲われ、遺体で発見されるという痛ましい事件が起きた。自身も(本州ではあるが)登山をする身として、その顛末には胸を痛めた。
北アルプスも、今夏は熊との遭遇・目撃情報が相次いでいる。そのうちの1つ、太郎平キャンプ場ではツキノワグマが登山者のテントと食料を持ち去った事案をうけて、現在キャンプ場を一時閉鎖する措置をとっている。筆者は8月上旬にこのキャンプ場を通る行程で登山をしており、その際も登山道ですれ違った別のグループから「熊に150mほど追いかけられた人がいたようだ」と情報共有をしてもらった。
なぜこの話をするかといえば、その時私の脳裏をよぎったのが、今日の本題である「福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件」だからである。日本史における登山中の熊害事件としては最も有名と言っても過言ではないだろう。
「福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件」は、昭和45年(1970)7月に、北海道にある日高山脈・カムイエクウチカウシ山で起きた熊害事件である。カムイエクウチカウシ山はアイヌ語で「熊(神)の転げ落ちる山」に由来する山で、標高1979m。日高山脈では第二の高峰だ。
その夏、同部の部員のうち5人が夏合宿として日高山脈を縦走していた。リーダーA(3年)、サブリーダーB(3年)、C(2年)、D(1年)、E(1年)という構成である。まさかこの後3日間に渡り、ヒグマの襲撃を受けることになるとは、知る由もなかった。
最初にヒグマと遭遇したのが、7月25日午後4時30分頃のことである。ヒグマはしばらくテントの様子を窺い、一旦離れたと思ったらまた近寄ってきた。この時、テントの中からヒグマの動向を見ていたメンバーはまだそれほど恐怖心を抱いていなかったという。当時この付近でヒグマが人を襲うという例がほとんどなく、音を出すなどすれば逃げていくという認識だったからだ。しかし、外に置いてあったキスリング(ザック)を漁って食料をくわえるのを見て、さすがに危機感を覚えた。
近年、冒頭でも言及したような山中のキャンプ場で熊が食料を漁っているという報告が多い。北アルプスの登山客にとってなじみ深い上高地・小梨平キャンプ場でも、人身事故にまで発展して一時閉鎖になったのも記憶に新しい。人の食料の味を知ってしまったクマは、登山客にとって脅威となるのだ。
5人は火を焚き、大音量でラジオを流しながら食器を打ち鳴らすなどしてヒグマを追い払った。しかし同日午後9時過ぎに再度現れ、テントに拳大の穴をあけている。さらに翌26日の早朝、今度はテントに侵入しようとしたことから、5人とテントを引っ張り合う形になった。リーダーの合図で一斉に逃げ出した5人は、約50m離れたところからヒグマがテントを倒してキスリングを漁っている姿を目撃している。
このタイミングでAはBとEに下山してハンターの出動要請をかけるよう指示。2人は別の大学のグループと途中で出会い、ハンターの出動要請を依頼すると3人を助けるべく戻った。一方、残ったA、C、Dはヒグマの監視を続け、離れた隙に置き去りになっていたキスリングを回収している。後にこの行動も「ヒグマが自分の獲物を奪った敵と認識した」と指摘されることになる。ただしこれは本事件においてあくまで結果論であり、誰も彼らを責めることはできない。
その後、5人は合流。幕営地を決め、手分けしてテントの修繕や夕食の準備をしていた時に、再びヒグマに狙われた。その結果別の大学が幕営すると聞いていた八の沢カールに向かうことを決断。しかし、そこに向かう途中でヒグマに追いつかれてしまう。一行は散り散りに逃げ出し、少し後にAが号令をかけた時に集まったのはBとDだけだった。
翌27日、A、B、Dの3人が行動を開始すると、再びヒグマの襲撃にあった。Aはヒグマを押しのけるかのように抵抗して逃げ去り、ヒグマもそれを追った。BとDはこの後無事に下山し、保護されている。
捜索・救助活動は28日から始まり、29日にはAとEの遺体が発見される。いずれも損傷が激しく、Eに至っては顔の判別すらできないほどだったという。その後ヒグマは射殺され、残ったCの遺体は30日に発見された。こちらも遺体の損傷が激しく、内臓が露出するなど凄惨な状況だったという。彼が書き残した詳細なメモが、この事件の顛末を細かく記録する大きな手がかりとなった。
歴史的にみても、日本では決して少なくはない熊害事件が起きている。そして今も、熊が生息する山中には危険が潜んでいる。「正しく恐れ、最大級の注意を払うこと」は、常に頭に置いておきたい。この記事が今後の予定を見直し、改めて危機感を抱いて備えを万全にするきっかけとなることを願う。

北海道のヒグマ
※本事件とは関わりのない熊
<参考>
■『日本クマ事件簿』(三才ブックス)
■羽根田治『人を襲うクマ』(山と溪谷社)