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朝鮮戦争からベトナム戦争まで戦い抜いた【ダグラスF3Dスカイナイト】

ジェットの魁~第1世代ジェット戦闘機の足跡~ 【第29回】


ジェット・エンジンの研究と開発は1930年代初頭から本格化し、1940年代半ばの第二次世界大戦末期には、「第1世代」と称されるジェット戦闘機が実戦に参加していた。この世代のジェット戦闘機の簡単な定義は「1950年代までに開発された亜音速の機体」。本シリーズでは、ジェット戦闘機の魁となったこれらの機体を俯瞰(ふかん)してゆく。


        1960年代前半、南ベトナム・ダナン基地のランウェイを滑走中のEF-10Bスカイナイト。第1海兵混成偵察飛行中隊“ゴールデン・ホークス”の所属機。

         第二次世界大戦後期、ジェット機実用化が現実のものとなると、アメリカ海軍は数社に対してジェット艦上戦闘機の開発を要請。そして同大戦が終結した直後、ジェット夜間艦上戦闘機の開発をダグラス社に発注した。

         

         当時、機載レーダーを備えたレシプロ夜間戦闘機には、レーダー専従の操作員を乗せた複座の機体とパイロットひとりだけの単座の機体があった。第二次大戦中、アメリカ海軍はすでにグラマンF6FヘルキャットとヴォートF4Uコルセアのレーダー装備夜間戦闘機を運用していたが、パイロットひとりが操縦しながらレーダーも操作するのは大変だった。

         

         一方、グラマンTBF/TBMアヴェンジャー艦上攻撃機やカーチスSB2Cヘルダイヴァー艦上爆撃機など複座機に機載レーダーを備えた機体では、他のクルーがパイロットの補助ができたためレーダーの運用がスムーズにおこなえた。

         

         また、複座の場合もパイロットとレーダー操作員兼航法士がタンデム配置よりも、イギリスのデハヴィランド・モスキートのようにサイド・バイ・サイドのほうがコミニュケーションがとりやすいという運用実績も得られていた。そこでダグラス社の名設計技師エドワード・ヘンリー・ハイネマンは、レシプロ機設計で培われた実績のある堅牢な機体構造に直線翼を組み合わせ、ジェットエンジン2基を搭載。コックピット配置はパイロットとレーダー操作員兼航法士がサイド・バイ・サイドに乗る機体を設計した。

         

         初飛行は1948年3月28日で、ダグラス社のテストパイロット、ラッセル・ウィリアム・ソーの操縦だった。その後、さほどの問題もなくF3Dスカイナイトは夜間艦上戦闘機として実用化され、朝鮮戦争では、飛行性能で本機よりも優れているMiG-15ファゴット4機を含む6機を撃墜した。

         

         1962年に機種番号をF3DからF-10に変更されたスカイナイトは、ベトナム戦争にも参加した。とはいえ、余裕のある機体が電子戦装備を搭載するのに適していたため、戦闘機としてではなく電子戦機EF-10として運用され、その外観から、時に「鯨のウィリー」のあだ名で呼ばれた。

         

         ちなみに、レシプロ機ではダグラスA-1スカイレイダーを筆頭に何機種かが朝鮮戦争とベトナム戦争の両方に参加しているが、ジェット機としてはスカイナイトが朝鮮戦争とベトナム戦争の両方に参加した唯一の機体である。

         

         なお、スカイナイトの最後の機体の軍からの退役は1978年であった。

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        過去記事

        白石 光しらいし ひかる

        1969年、東京都生まれ。戦車、航空機、艦船などの兵器をはじめ、戦術、作戦に関する造詣も深い。主な著書に『図解マスター・戦車』(学研パブリック)、『真珠湾奇襲1941.12.8』(大日本絵画)など。

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