名作アニメ『火垂るの墓』に隠された本当の意図
戦後80年特別企画
毎年8月15日が近づくと大東亜戦争関連特別番組のテレビ放映が増えてくる。今年は終戦記念日の15日、日本テレビ系の「金曜ロードショー」で、スタジオジブリのアニメ映画『火垂るの墓』が放送される。地上波で放送されるのは、じつに7年ぶりのことだ。

日本の戦争継続能力を徹底的に喪失させる目的で投入された長距離戦略爆撃機B-29スーパーフォートレス。日本本土への初空襲は昭和19年(1944)6月16日、八幡製鐵所を目標としたものであった。
原作は野坂昭如(のさかあきゆき)の同名短編小説。野坂自身の戦争体験を元にした作品で、野坂は実際に戦中・戦後に2人の妹を亡くしている。小説と現実で大きく違うのは、14歳の主人公清太は、4歳だった妹節子の後を追うように衰弱死してしまうが、野坂自身は生き残って文学者となり、その体験を元にした小説で直木賞を受賞したことだ。
テレビ放送が目前に迫っているので、ここであまり詳しいあらすじを紹介してしまうと、ネタバレとお叱りを受けてしまうだろう。そこで『火垂るの墓』を見る前に、意識しておきたいポイントだけ触れることにしたい。
物語は昭和20年(1945)9月21日夜、省線(現在のJR東海道本線)三ノ宮駅構内に現れた清太の霊が、自らが衰弱して死んでいくところを眺めているシーンから始まる。この時、ぜひ見逃さないで欲しいのが、最初に清太が眺めている三ノ宮駅の柱の手前に、アニメが製作された1980年代後半にはほとんどの駅に置かれていた、灰皿スタンドが一瞬映ることだ。その後灰皿は消え、代わりに衰弱して死にかけた自分の姿が現れる。
現代の物が映ることは、このアニメが「清太の霊は自分が死ぬまでの数カ月の出来事を、現代まで繰り返し見続けていることを暗示している」と想像できる。その答え合わせはラストのシーンに出てくるので、そちらも忘れず注目して欲しい。この仕掛けはアニメのオリジナルで、高畑勲(たかはたいさお)監督が生前に「これは反戦映画ではない」と、メディア出演時に語っていたことを裏付けるものなのだ。
『火垂るの墓』は反戦映画ではなく、“心中”がテーマになっているということは、今ではかなり多くの人に知れ渡っているようだ。幼い兄妹が死んだのも戦争のせいではなく、まして親戚の叔母や世間の人たちが兄妹に冷たかったからではない。それを象徴するように、衰弱しきって柱に寄りかかる清太の前に、おにぎりを置く通行人の女性も描かれている。
2人は他人が入り込むことのない閉鎖された家庭生活を夢見て、親戚の家を飛び出してしまう。そして兄の清太は周囲の人々との共生を拒絶し、節子と純粋な家庭を築こうとしたが、うまくいくことはなかったのである。そのあたりを踏まえて見れば、高畑勲監督がこの作品に込めた意図が見えてくるだろう。
もうひとつ、歴史好きならば徹底的にリアルに描かれている戦時中の様子にも着目したい。描かれている空襲は、昭和20年6月5日のものだ。神戸への空襲はこれが初めてではなく、日米が開戦した翌年の昭和17年(1942)4月18日、空母を発進したドーリットル中佐率いる16機の爆撃機のうちの1機が神戸に飛来。市内兵庫区の西出・島上・鍛冶屋・船大工・川崎町などに焼夷弾(しょういだん)を投下したのが、神戸(本土)に対する初めての空襲であった。

空母ホーネットから発艦し、日本本土空襲へと向かうドーリットル隊所属のB-25双発爆撃機。16機が東京、横須賀、横浜、名古屋、神戸などを空襲した。連戦連勝に浮かれていた日本側へ与えた衝撃は大きかった。
その後、昭和20年8月15日の最後の飛来まで、神戸市上空にアメリカ軍機が姿を現したのは偵察や神戸沖への機雷封鎖、模擬原子爆弾の投下などを含め84回に及んだ。うち「神戸大空襲」と呼ばれるのは、すべて昭和20年のもので2月4日、3月17日、5月11日、6月5日、8月6日の5回である。『火垂るの墓』の主人公である清太と節子の兄妹が母親と家を失うこととなった6月5日の空襲は、その中でも最も激しいものであった。

神戸大空襲後の神戸中心街。昭和20年(1945)2月4日の神戸市内への空襲は、焼夷弾による無差別のものであった。これは3月10日に行われた東京大空襲から始まる、市街地への絨毯爆撃の実験だったと言われている。
その日は午前6時過ぎ、神戸市内に空襲警報が発令された。7時30分、神戸市上空に最初の20数機の編隊が来襲、焼夷弾投下する。その後、日本側の記録では約350機のB-29の大編隊が来襲し、西は垂水区から東は西宮までの広範囲に大量の焼夷弾・破砕弾・通常爆弾を投下し市街地全体は壊滅的な被害を受けた。この空襲は工業地帯の爆撃だけでなく、市民生活の徹底的破壊を目的とした、無差別・無限定なものであった。
アニメに登場するアメリカ軍の爆撃機B-29には、「Z」のテールマークが描かれている。これはサイパン島に配置されていた第500爆撃団第883飛行隊に所属していた機体であった。そして確認できる機体番号の中には、その日実際に神戸空襲に出撃していた機も描かれている。

『火垂るの墓』に登場する第500爆撃団第883飛行隊に所属するB-29と搭乗員。機体番号は「42」で、愛称スパイン・シューだった。実在する機体を登場させたのは、高畑の徹底したリアリズムへのこだわりであった。
ちなみにこの5回を含む一連の神戸空襲により、神戸市域での死者は7,524人、負傷者16,948人、罹災者は約53万人にも及んだ。人口1,000人当たりの死傷者の割合(戦争被害率)は47.4人となり東京の42.9人、横浜の24.1人を上回っている。これは東京、大阪、名古屋、横浜、神戸という、五大都市と呼ばれる中で一番大きかった。