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“越後の龍”上杉謙信を姉として支え、上杉家の後継者・上杉景勝の母として上杉家のために生きた【仙桃院】の生涯とは⁉

歴史を生きた女たちの日本史[第20回]


歴史は男によって作られた、とする「男性史観」を軸に語られてきた。しかし詳細に歴史を紐解くと、女性の存在と活躍があったことが分かる。歴史の裏面にあろうとも、社会の裏側にいようとも、日本の女性たちはどっしり生きてきた。日本史の中に生きた女性たちに、静かな、そして確かな光を当てた。


 

春日山城跡に立つ上杉謙信の像

 

 綾姫(あやひめ/のちの仙桃院)は、越後守護代・長尾為景(ながおためかげ)の娘として越中国・春日山城で生まれた。享禄3年(1530)生まれの弟・景虎(かげとら/後の上杉謙信)より2歳年長とも6歳年長ともいう。母は、謙信と同じ古志郡栖吉城・長尾顕吉の娘・虎御前である。綾姫・景虎の上に長兄・晴景もいた。

 

 父・為景は、越後守護・上杉房能(ふさよし)に仕える守護代であったが、この主君を殺した。下剋上の世の中である。これに怒った関東管領・上杉顕定は大軍を率いて春日山城に迫ったが、為景はこの大軍も敗走させ、顕定を討ち取ってしまった。為景は新しい守護に房能の従兄弟である上杉定実(さだざね)を据えて、実権を掌握した。だが、長尾一族間の抗争もまた激しかった。本家・為景が「府中長尾」、虎御前の実家・栖吉城(すよしじょう)の「古志長尾」、南魚沼・坂戸城の「上田長尾」が三つ巴になっての抗争であった。特に府中長尾と上田長尾の仲は険悪に近かった。

 

 その後も、各地の「反為景」勢力との戦いに明け暮れる日々を送る中で、隠居を宣言して嫡男・晴景を後継に据えたが、実権は持ったままであった。そして天文10年(1541)12月、死亡する。後を継いだ晴景は、人望も厚くなく病弱であったから、曹洞宗の林泉寺に入っていた景虎(謙信)が守護代となり、内乱状態を収めた。さらに謙信は、反旗を翻した上田長尾の坂戸城主・長尾政景を降伏させるまで各地で戦い続けた。

 

 天文20年(1551)8月、謙信に屈服した政景のもとに謙信は姉・綾姫を嫁がせた。降伏させたとはいえ、長尾一門の有力者である政景を取り混み続けるための政略結婚であった。この時に綾姫は24歳か28歳であり、当時としてはかなりの晩婚といえた。

 

 坂戸城に嫁いだ綾姫は、政景との間に2男2女を生んだ。長男は早世するが、2男が後に謙信の跡を継ぐ景勝であった。綾姫が長尾一族の中で発言権を持ったのも確かであって、例えば当時身分が低かった家臣の息子・樋口与六郎の非凡な才能を見つけ、景勝の近習として推挙した話が『北越軍談』に見える。

 

 与六郎こそ、後に景勝の軍師であり家老となる直江兼続(なおえかねつぐ)である。

 

 夫・政景と謙信との仲も良く、謙信が武田信玄との川中島合戦に遠征する際には、春日山城の留守を託すほどの信頼関係にあった。だが、突然不幸が訪れた。永禄7年(1564)7月、政景は柏崎・琵琶島城主・宇佐美定満と出兵先の野尻湖で船遊びをしていて水中に落ち、2人ともに溺れ死ぬ不慮の事故があった。しかし、世間は事故とは取らず、謙信による謀略・殺害と勘ぐる者が多かった。政景の死後、綾姫は落飾して「仙桃院(せんとういん)」となる。その直後、景勝は春日山城に呼び寄せられ、謙信の養子となる。いご、景勝は精強な上杉軍団を率いるようになる。

 

 ところが謙信にはもう1人、養子がいた。小田原・北条氏康の7男・氏秀(後に景虎)である。謙信はこの景虎に、景勝の姉(後に華渓院)を娶らせた。仙桃院も実の娘(華渓院)と暮らした。孫も生まれ幸せな生活であった筈が、謙信亡き後の内訌「御館の乱」が勃発する。仙桃院は、仲裁に入ったが両者とも引かない。結果として景虎が敗北し、一族は殺された。

 

 仙桃院は、その後も春日山城で生き続ける。そして秀吉の命令で景勝が会津に移封されると、会津若松城に移り、さらには関ヶ原合戦後に米沢に移封になると、米沢城に移った。仙桃院は、慶長14年(1609)2月15日、米沢城二の丸で死去した。当時としてはごく稀な80歳を超える長寿であった。 

 

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過去記事

江宮 隆之えみや たかゆき

1948年生まれ、山梨県出身。中央大学法学部卒業後、山梨日日新聞入社。編制局長・論説委員長などを経て歴史作家として活躍。1989年『経清記』(新人物往来社)で第13回歴史文学賞、1995年『白磁の人』(河出書房新社)で第8回中村星湖文学賞を受賞。著書には『7人の主君を渡り歩いた男藤堂高虎という生き方』(KADOKAWA)、『昭和まで生きた「最後のお殿様」浅野長勲』(パンダ・パブリッシング)など多数ある。

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