女性だけが住む男の理想郷「女護島」【江戸の性語辞典】
江戸時代の性語95
我々が普段使っている言葉は時代とともに変化している。性に関する言葉も今と昔では違う。ここでは江戸時代に使われてた性語を紹介していく。
■女護島(にょごがしま)
女だけが住むという想像上の島。「にょごのしま」、「にょうごのしま」という読み方もある。
「女ばかりなので、たまに男が流れ着くと、大いにもてるに違いない」というのは、男であれば誰もがいだく妄想であろう。いわば男にとっての理想郷である。
【図】は、女護島に流れ着いた男を、女が迎えるところ。

【図】女護島に流れ着く。『女護島』(不明)、国際日本文化研究センター蔵
(用例)
①戯作『好色一代男』(井原西鶴著、天和2年)
好色男の世之介は六十歳になったとき、やはり好色な男七人をさそい、
「これより女護の島に渡りて、つかみ取りの女を見せん」
と言えば、いずれも喜び、
「たとえば腎虚してそこの土となること、たまたま一代男に生まれての、それこそ願いの道なれ」
女護島であれば、女はより取り見取りのはず、と言うわけである。
女とやり放題で、腎虚して死ねば本望だ、と。
そして、舟に性具や媚薬を積み込み、海に乗り出していく。
②春本『好色一代能』(西川祐信、正徳6年)
女が多数で、男あさりに出かけた。
男見つけ次第に、このほうから膳を据えて無理に進むる体(てい)、ひとりの男に、ひとり、三人、取り付くは、伝え聞く女護島もこんなことなるべし。
③春本『色錦姿の花年中行事』(磯田湖龍斎、安永4年)
日本より辰巳(たつみ)にあたる一島を名づけて女護島といえり。女ばかりが住みて、男というもの禽獣よりほかを知らず。島中の女、月の夜に至って海端に立ち並び、綾羅(りょうら)の下紐(したひも)をあらわにして風を待って婬欲の心を動かし、独り楽しんで女子を孕(はら)んで子孫を伝う。
辰巳は南東。綾羅の下紐をあらわにするとは、陰部をむき出しにすること。
月光のもと、浜辺で下半身をむき出しにして風を受けることで妊娠し、女の子を生むという。これで、女だけで生殖が成り立つことを説明している。
④春本『葉名志那三話』(勝川春章、安永6年頃)
江戸城の大奥、大名屋敷の奥は男子禁制だった。お豊は大名屋敷の奥で育ち、十八、九歳で親戚の家に戻った。
幼少から女護島に育ちたれば、男の顔、見たことなく、まして味を知らねば、
大名屋敷の奥を、女護島にたとえている。
⑤春本『女護島宝入船』(歌川国麿、嘉永年間)
女護島に漂着した男は、もう引っ張りだこである。ある女がしみじみ言う。
「男というものは、こんなによいものとは思わなんだよ。こんなによいものが、なぜに、この国にはないのだろう。どうぞ、これからは、ほかに回らずに、毎日毎日、わたくしばかりしておくれよ。いい物をたんとあげるから」
「この国」は女護島のこと。
性行為をしたら、女の方からお礼をしてくれるのである。