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「世直し大明神」は危険な兆候? 佐野政言が抱えた「コントロール不能な苦しみ」とイメージで「英雄視」することの怖さ


『べらぼう』第2728回を通して描かれた佐野政言による田沼意知への刃傷事件は、視聴者に大きな衝撃を与えました。本作は政言を単なる英雄ではなく、孤独の淵で刀を抜かざるを得なかった一人の人間として描いているのが印象的です。民衆は政言を「世直大明神」と讃えましたが、意知を知る蔦重はその熱狂に違和感を覚えます。本稿ではこの事件を心理カウンセラーの視点から紐解き、現代の私たちが学ぶべき二つの重要な教訓——「英雄視の危うさ」そして「コントロール不能な苦しみとの向き合い方」を提示してみようと思います。


 

■孤独と劣等感の連鎖:なぜ佐野政言は追いつめられたのか?

 

 『べらぼう』で語られる佐野政言は、思うような出世もできぬまま、高齢の父の介護を一身に背負う日々を強いられていました。そんな政言とは対照的に、田沼意知は賄賂政治で栄達した田沼家の嫡男として成功を収めます。

 

 報われない労苦が、政言を追いつめました。超高齢化社会へと進み「ヤングケアラー」が常態化していく現代において、政言が抱えた孤独や生きづらさは、日本社会が直面する喫緊の課題と重なります。

 

 積もり積もった政言の苦しみは、一橋治済(はるさだ)の密偵の教唆によって田沼家への憎悪へと変容。この苦しみから解放されたいという痛ましい願いもあったでしょう。すべてを終わらせるかのごとく、政言は父の刀で意知に斬りかかるのでした。

 

 史実では不明確ですが、『べらぼう』ではこの政言の凶行を「社会の底辺へと追いやられた人間が、自分をどん底に突き落とした張本人(と信じ込まされた相手)に刃を向けた」という悲劇の物語として描いています。

 

◼️死後の神格化と現代への警鐘:なぜ「英雄」は生まれるのか?

 

 刃傷事件の翌日、政言は切腹。しかし市井は政言を「世直大明神」として祭り上げました。

 

 飢饉と物価高騰に苦しむ庶民にとって、田沼親子は賄賂で私腹を肥やした悪の権化。その悪を政言が討ち、さらに米の値が下がったとあって、人々は熱狂したのです。人々が英雄を待ち望むあまりに事実が歪められ、一人の殺人者が「福の神様」へと仕立て上げられたのでした。

 

 この現象は現代社会にも警鐘を鳴らします。SNSやメディアは、しばしば断片的な情報だけで誰かを称え、または陥れます。当時の人々は意知の人柄や真実を知らず、一方的なイメージだけで意知の棺に石を投げつけ、政言を称賛しました。当時の「世直し」も、事実を反映しないフェイクニュース的な偶像崇拝に近いものを感じさせます。

 

 情報が氾濫する今こそ、私たちは「誰が」「何のために」その物語を流布しているのかを冷静に見極め、安易な偶像化を避ける必要があるのです。

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過去記事

真田明日美さなだ あすみ

1982年東京都生まれ。学習院大学文学部史学科卒。歴史雑誌の編集・執筆に従事した後、家族のうつ病看護を契機に、中島輝主宰『自己肯定感アカデミー』にて心理学を学ぶ。アドラー流メンタルトレーナー、HSP・グリーフケアカウンセラー、児童教育メソッド英才教育コーチ資格保有。現在は歴史好きの「旅するカウンセラー」として全国でメンタルケア支援を行う。

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