朝ドラ『あんぱん』史実ではもっと早くに死去していた父 日本最大の商社の重役だった?
朝ドラ『あんぱん』外伝no.4
NHK朝の連続テレビ小説『あんぱん』がスタート。第1週は「人間なんてさみしいね」が放送中だ。4話では、母・登美子(演:松嶋菜々子)が再婚で家を出たことを知る朝田のぶ(演:永瀬ゆずな)は、柳井嵩(演:木村優来)を心配して守ろうとするが、同級生の男子と喧嘩になり、嵩からも「守らなくていい」と言われてしまう。そんななか父・結太郎(演:加瀬亮)は海外出張に向かうが、その帰路で突然この世を去ってしまった。今回はのぶのモデルである小松暢さんの父の実像に迫る。
■鈴木商店の絶頂期に事業拡大の一翼を担った超エリート
『あんぱん』に登場するのぶの父・朝田結太郎は、家業の石材店を継がずに商事会社に勤めており、国内外を飛び回って不在にしがちだった。先進的な考えを持っていて、のぶにも「おなごも遠慮せんと、大志を抱け」と言い聞かせる。
朝田のぶのモデルである暢さんの実父は、池田鴻志さんという。明治18年(1885)に高知県安藝郡安藝町に生まれ、小学校卒業後は高知商業学校(現在の高知商業高等学校)に入学。さらに卒業後は大阪へ出て、関西法律学校(現在の関西大学の前身)へ入学した。男子でも高等教育機関への進学率がそれほど高くなかった時代にここまで勉学に励めたということは、秀才であるのはもちろん、実家がそれなりに裕福であったことの証左でもある。
明治41年(1908)に卒業した後は一度故郷に戻り、時々大阪に出るような生活をしていたらしい。詳細な経緯は不明だが、ある時国内有数の商社として名を馳せていた鈴木商店に才能を見出されたという。同社はその頃絶頂期にあって事業拡張を計画しており、大正5年(1916)2月に池田さんは同社が運営する九州炭鉱会社に入社することになった。
ここで鈴木商店について軽く触れておこう。同社は当時日本が世界に誇った一大貿易商であり、鈴木財閥の中核を担って製糖、製粉、製鋼、たばこやビールの嗜好品など幅広く扱った。また、保険や海運、造船、炭鉱といったジャンルにも手を広げ、大正4年(1915)には貿易年商額15億4000万円を記録。これは当時の日本の国家予算の約2倍だった。大正6年(1917)には、当時の日本の国民総生産の1割を同社が売り上げるという、日本一の商社だったのである。
そんな鈴木商店の系列会社で勤め始めた池田さんはまたたく間に頭角を現し、大阪の木材部勤務を経て大正6年(1917)に台湾・嘉義の木材部の主任に栄転した。これは鈴木商店のなかでも重要な役職だった。
大正8年(1919)には釧路出張所長に任命され、釧路の開発と各種事業の拡張に尽力することになる。娘の暢さんが生まれたのは、ちょうど台湾駐在と釧路赴任の間、大正7年(1918)のことだった。
池田さんは釧路の地で現地の発展に大きく貢献した。大正11年(1922)に釧路日日新聞社が発行した『釧路の人物』は釧路の政財界で活躍した人物を一挙にまとめた書籍だが、池田さんはこの中で顔写真入りで取り上げられ、業務に対する姿勢や人柄を絶賛されている。
日本一とも謳われた大企業の重役とあって、それなりの収入があったことは間違いなく、暢さんをはじめ池田家は裕福な暮らしをしていたようだ。
しかし、その死については詳細がわかっていない。大正14年(1925)3月11日の官報には「株式會社釧路木材倉庫」の欄に「大正十三年十一月十一日監査役池田鴻志ハ死亡シタリ(原文ママ)」と記載されており、この記述に従うのであれば、大正13年(1924)11月11日に亡くなったことになる。この時暢さんは6~7歳。史実ではドラマよりも少し早く父を亡くしていたようである。
<参考>
■釧路日日新聞社『釧路の人物』(1922)

『釧路の人物』より/国立国会図書館蔵