江戸文化のアイコンだった「花魁」の光と闇
蔦重をめぐる人物とキーワード⑫
3月23日(日)放送の『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』第12回「俄(にわか)なる『明月余情』」では、吉原で盛大に催された祭りの様子が描かれた。大勢の人が詰めかける様子にヒントを得て、蔦屋重三郎(つたやじゅうざぶろう/通称・蔦重/横浜流星)は新たな本を売り出すのだった。
■盛大な祭りの盛り上がりで吉原がひとつになる

『青楼美人合姿鏡』に描かれた、角蔦屋の遊女が生け花を学んでいる様子(国立国会図書館蔵)。遊女たちの高い教養を指し示すように、同書の巻末には彼女たちの自作の句も掲載されている。
安永6年(1777)の年明け、富本午之助(とみもとうまのすけ/寛一郎)が富本豊前太夫(とみもとぶぜんだゆう)を襲名したのを機に、蔦重の耕書堂が売り出した直伝の富本正本が好調に売上を伸ばす一方、前年に開催した祭りが不調に終わったことを悔やむ吉原の親父たちは、蔦重に盛大な祭りの企画を求めた。
そんななか、若木屋与八(わかぎやよはち/本宮泰風)が8月の一か月間「俄」の祭りを行ない、西村屋(西村まさ彦)が錦絵『青楼俄狂言尽』を売り出す計画を記した廻状を送ってきた。以前、大文字屋(伊藤淳史)の祭りを妨害していた若木屋の動きに、吉原の親父たちは憤慨する。
吉原が二派に分かれて対立することを憂慮する蔦重だったが、祭りの盛り上がりには対立も必要だという平沢常富(ひらさわつねとみ/尾美としのり)の言葉に心が晴れる思いがするのだった。大文字屋は、平沢の後ろ盾を得ることで、若木屋の主導する祭りに参加することを決意した。
一方、蔦重は平賀源内(ひらがげんない/安田顕)に祭りの記事執
祭りが始まると吉原は賑わい、大文字屋と若木屋はそれぞれ踊りを披露し、対決姿勢を前面に出すなどして大いに盛り上がった。蔦重はこの熱気を冊子にしようと思いつき、勝川春章(かつかわしゅんしょう/前野朋哉)に絵を、平沢に序を依頼し『明月余情』を刊行。『明月余情』は、西村屋が匙を投げるほど飛ぶように売れた。祭りの最終日には、対立していた若木屋と大文字屋の一団が共に踊ることで最高潮の盛り上がりを迎え、幕を閉じた。
その喧騒のなか、以前、足抜けに失敗したうつせみ(小野花梨)と小田新之助(井之脇海)が再会し、二人は吉原からそっと姿を消したのだった。