改ざんされた天皇の歴史 なぜアマテラスが「最高神」になったのか? 支配のための「もくろみ」とは
日本史あやしい話
日本の神々の最高神といえば、多くの人が天照大神(あまてらすおおみかみ)/アマテラスのことを思い浮かべるのではないだろうか。しかし、『日本書紀』を見る限り、皇祖はアマテラスではない。そこには、はっきりと、皇祖が高皇産霊尊(たかみむすひのみこと)/タカミムスヒであると明記されているのだ。なぜ、タカミムスヒは姿を消し、皇祖がアマテラスのごとく思われるようになったのだろうか? その思惑について探りたい。
■最高神はアマテラスではなくタカミムスヒだった!?
「吾、葦原中国(あしはらのなかつくに)の悪しき鬼をはらいけしめむと欲す(吾欲令撥平葦原中国之邪鬼)」
天高原のとある支配者が、神々を集めて、こう語りかけた。手っ取り早く言えば、「葦原中国を我がものとしたい」ということである。
つまるところ、葦原中国への侵略、その決意表明に他ならない。これが、『日本書紀』神代下の冒頭に記された一文であった。
この場合の支配者とは、もちろん、天高原における最高指揮官であることは言うまでもない。それを誰とみなすのか、それが今回の命題である。
日本の神々の中の最高神となれば、普通なら「天照大神でしょ」と思われて当然かもしれないが、実のところ、そうではない。冒頭の言を吐いたのは、ズバリ、「高皇産霊尊」(たかみむすひのみこと)/タカミムスヒなのであった。
■アマテラスよりもずっと前に存在していたタカミムスヒ
この高皇産霊尊の出生に関しては、『古事記』が興味深い記事を載せている。そこでは、天之御中主神/アメノミナカヌシに次いで姿を現したのが、タカミムスヒだったという。
アメノミナカヌシが宇宙を統一する神様であるのに対し、この神は「宇宙の生成」を司るのだとも。不思議なことに、最初に登場するアメノミナカヌシは、その後、姿を消して語られることはなかったが、タカミムスヒの活躍ぶりは目覚ましかった。
ちなみに、その数代後に生まれたのがイザナギとイザナミで、『日本書紀』によれば、その子がオオヒルメノムチこと、天照大神であった。単純に言えば、タカミムスヒは天照大神よりも、ず〜と前に生まれたことになる。「早く生まれた方が偉い」という考え方が正しいかどうかはともあれ、タカミムスヒの方が天照大神よりも崇敬の度合いが高いとみなされる根拠となったようである。
さらに重要なのがここから。『日本書紀』に、決定的な一文が記されているのをご存知だろうか。それが、冒頭の文面の直前に記された「皇祖高皇産霊尊」であった。そこには、堂々と、タカミムスヒが皇祖であると明記していることを見逃してはならないのだ。
この皇祖の命の下、アメノホヒはもとより、アメノワカヒコやタケミカヅチ、ニニギらが葦原中国に降臨。さらに、大国主神/オオクニヌシに対し、「現世の政治は皇孫が、幽界の神事はオオクニヌシが司るべき」として国譲りを強要したのも、このタカミムスヒであった。
一方、天照大神といえば、生まれは前述したように、タカミムスヒよりもず〜と後で、イザナギが「筑紫の日向の川の落ち口の橘の憶原」で禊をした際、2人の弟であるツクヨミやスサノオと共に誕生している。
しかも、荒れくれ男の弟・スサノオノの暴虐ぶりに根をあげて岩屋に閉じこもってしまうような、か弱き女性であった。これらの記述を見る限り、本来の皇祖というべき最高神は、天照大神ではなくタカミムスヒであったことは明らかだろう。
■突然クローズアップされ、なぜか宮中から追い出されたアマテラス
ところが、第10代・崇神天皇の御代になると状況が一変する。宮中に祀っているのがアマテラスと倭大国魂(やまとのおおくにたまのかみ)の二神であると突如表明するのだ。いつから宮中に両神が祀られるようになったのかは一切記すことなく、唐突のようにアマテラスの存在がクローズアップされるようになる。
そして、それと歩調を合わせるかのように、タカミムスヒの存在感が次第に失せていく。さらに奇妙なのは、ここに登場するアマテラスが、宮中にまるで祟りを為すかのように恐れられる存在になっていることである。まるで「触らぬ神に祟りなし」と言わんばかりに、宮中から追い出されてしまった。
第11代・垂仁天皇の頃には、とうとう遠く離れた伊勢の地に祠を設けて祀ったまま、持統天皇を除いて明治時代以前まで、ついに一度たりとも天皇が参拝することはなかった。
このタカミムスヒとアマテラスにまつわる状況の変化は、いったい何を意味しているのだろうか? そこにこそ、何やら大きな秘密が隠されているような気がしてならないのだ。
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