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小学生が違法賭博、「金払えや」と取り立て… 「ギャンブル大国」だった日本(賭博の歴史)

炎上とスキャンダルの歴史


令和ロマン・くるまやオリックス山岡など、次世代お笑い芸人・プロ野球選手による利用が相次いで発覚し、社会問題となっているオンラインカジノ。近年になって利用が拡大し、違法性を認識せずに手を出してしまった人も多いようだ。ここでは、日本におけるギャンブルの歴史についてみていこう。


  

■保護者あぜん 校庭で賭博大会

 

 オンラインカジノの違法性が指摘されている昨今。賭博罪について注目が集まっていますが、戦前にもギャンブルは盛んに行われていました。

 

 現代とは異なり、比べ物にならないくらい娯楽が乏しかったこともあるでしょうが、苦笑してしまうのが、大正15年(1926年)2月26日付けの「中國新聞」のスクープ記事です。

 

「岡山県久米郡○○尋常高等小学校高等科」の小学生が金銭をかけて賭博大会を学校の校庭で開催し、勝った生徒が負けた生徒の家まで「金払えや」と、集金に出向いてしまったことから事態が発覚。賭博していた「数名」の生徒には当地の有力者や、校長の息子まで含まれており、大人たちを嘆かせました。

 

 三宅正太郎によると「昭和3年のような(不況の)年でも、全刑法犯人人員七八三四七人中、四七二二一で、半数以上」を占めるのが賭博犯。当時の犯罪統計第二位の窃盗犯は、賭博犯の4分の1程度。日本社会は非常に多くのギャンブル中毒を抱えていたことがわかります。

 

 小学生ですら博打をするのですから、金を持て余した大人が博打をするのは「公然の秘密」というしかありません。当時の警察も犯罪者を検挙してナンボの商売でしたし、クスリ関係とは異なり、ギャンブラーは逮捕時におとなしいので、良いカモの扱いだったようですね。

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■博打の元締めは「死罪」になった

 

 さらに遡ると、江戸時代の日本でも、賭博はやはり違法でした。しかし明治以降の賭博罪のほとんどは罰金刑だったのに対し、江戸時代の「博徒」の多くは死罪です。

 

 四代将軍・家綱、五代将軍・綱吉の時代にも「博徒」が磔(はりつけ)の刑や斬首刑に処された記録がありますね。随分と厳しい処分ですが、ここで注目してほしいのは「博徒」が、たんなる博打好きではなく、そういう人々を集めてこっそり博打の会を開催してしまっている「元締め」であったことです。

 

 当時の日本人は、激しく娯楽に飢えていたのでしょう。江戸市中に所在する大名屋敷や旗本屋敷に仕えている「中間(ちゅうげん)」という奉公人たちが自分たちの住まいを賭場(とば)として提供。町人からも博打好きを募って、サイコロ賭博に興じていたそうです。大名や旗本の屋敷の中は治外法権だったので、(比較的)安全だったということですね。

 

 サイコロ賭博の別名は「丁半博打(ちょうはんばくち)」。それこそプロの「博徒」がサイコロ2つを振って、合計した数字が偶数(=丁、ちょう)奇数(=半、はん)かを当てるというシンプルなゲームです。しかしシンプルである分、中毒性も高く、大人気だったのですね。

 

■お寺や公家屋敷が「賭場」になった

 

 ほかに賭場になっていたのは、なんとお寺。江戸時代の法では、博打の取り締まりは町奉行が行うのですが、寺は寺社奉行の管轄だったので、町奉行が踏み込みづらく、安全という理由です。「博徒」こと賭博の元締めが参加者から徴収する参加費を「寺銭(てらせん)」といいますが、それも寺が賭場だったからという説がありますね。

 

 しかし穴場中の穴場としては、公家の屋敷でしょうか……。明治維新の立役者として知られ、明治天皇の信任も厚かった岩倉具視は貧乏だったので、屋敷を賭場として貸し出していたそうです。公家は天皇の臣ですから、その屋敷も町奉行には立ち入りしづらいという利点がありました。

 

■江戸では「相撲」でスポーツ賭博

 

 江戸時代に盛んだったのは、サイコロ賭博だけではありません。現在でも野球賭博などスポーツ関係のギャンブルが問題となることがありますが、当時の花形は相撲です。

 

 当時の相撲は、明治以降、「国技」に昇格してからの相撲とは違って、八百長など日常茶飯のかなりブラックなスポーツでした。文久3年(1863年)に来日したスイス外交官のエメ・アンベールは次のように証言しています。

 

「相撲競技は、まさしく日本民衆にもっとも古くから愛好されている娯楽に違いない。だが(略)賭けがその大きな部分を占めているからこそ熱狂することを見逃すわけにはいかない(『幕末日本図絵』)」。

 

 相撲小屋に入らなくても賭けに参加することが可能で、小屋の内外で様々な「博徒」が客を集めていたそうです。もちろんこちらも幕府の取り締まりの対象でしたが、まったく効果はあがらないままでした。

 

 

 

参考:中國新聞デジタル「児童が開帳、職場で大量検挙…戦前の賭博事情」

(https://www.chugoku-np.co.jp/articles/-/454497)

 

 

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堀江宏樹ほりえひろき

作家・歴史エッセイスト。日本文藝家協会正会員。早稲田大学第一文学部フランス文学科卒業。 日本・世界を問わず歴史のおもしろさを拾い上げる作風で幅広いファン層をもつ。最新刊は『日本史 不適切にもほどがある話』(三笠書房)、近著に『偉人の年収』(イースト・プレス)、『本当は怖い江戸徳川史』(三笠書房)、『こじらせ文学史』(ABCアーク)、原案・監修のマンガに『ラ・マキユーズ ~ヴェルサイユの化粧師~』 (KADOKAWA)など。

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