女性関係を“暴露”されまくっていた「文春」初代社長 「美人すぎる秘書」からもゴーストライターをバラされ…
炎上とスキャンダルの歴史
数々のスキャンダルを世間に晒している「文春砲」。じつは文藝春秋社の初代社長・菊池寛自身も、文春砲のような暴露砲をたびたびくらっていた。ポケットマネーで雇っていた美人秘書からも、彼女が菊池のゴーストライターをしていた事実や、ふたりの生々しい関係を明かされている。どういう内容だったのか、見ていこう。
■女給を口説こうとしているのを暴露された「文春」初代社長

菊池寛
近年では「週刊文春」の稼ぎ頭となっている「文春砲」。じつは「文春」が創刊されるはるか以前、文藝春秋社の初代社長・菊池寛も、現代ならば「文春砲」というべき暴露爆弾の数々をくらいまくって、なかなか大変だったようです。
とあるカフェーの小夜子という女給(メイド)に岡惚れした菊池は、彼女の気を引こうと手のひらに丸めた札束を忍ばせた後に「握手しよう!」といって、手を握るついでに金を押し付けるなどしていたようです。
大正時代の小説家ではトップ3に入る稼ぎを誇り、文藝春秋社を創設した実業家でもある菊池寛は社会的成功者です。しかし、その菊池がこんなに不格好に女給の愛を乞うている……そう暴露する『女給』という小説を書いたのは菊池が友人だと思っていた小説家・広津和郎だったのでした。
身内からの「文春砲」(によく似た暴露砲)――いつの時代も裏切られた者をどん底に叩き落とすシロモノです。まぁ、菊池の脇が甘すぎたからすべて彼が悪いのですが……。ただ、菊池個人の所業の問題というより、大正・昭和という時代が彼のような「えらい男」の性愛問題について、きわめて甘かったからかもしれません。
■美人秘書からゴーストライターや愛人関係の事実を暴露された
文藝春秋社の初代社長であった菊池寛は、美女を社長秘書として雇っていました。それは正式な採用ではなく、菊池のポケットマネーから月給が現金で与えられる仕事でした。
菊池寛の美人すぎる秘書として有名だったのが、佐藤碧子(みどりこ)です。5年制の女学校を卒業後した佐藤は、当時20歳。知人の紹介で得た仕事でしたが、菊池が出社するのは毎日夕方くらいで、出社してもたいてい将棋をやっているだけですから、秘書らしい仕事は一般的な就業時間中にはほとんどありませんでした。菊池と夕食を共にし、話題を提供したりするのが彼女の主な仕事でした。
佐藤はのちに作家として『人間・菊池寛』という実録小説を執筆します。そしてこの中では、気が乗らない菊池の代わりにゴーストライターを勤めていたという事実や、ふたりの間に愛人的な関係があったことが描かれているのです。菊池は美人秘書・佐藤からも、私は「あの」菊池先生の特別な存在だったと半ば自慢されるような形にせよ、「暴露」を受けてしまったわけですね。
■菊池に「あなたのところに行こう」と誘われたが、拒否して終了
『人間・菊池寛』で描かれた菊池との日々について見ていきましょう。菊池は彼女を「さ・とうさん」と独特のアクセントで「さん」付けで呼び、確実に彼女に特別な好意をもっていると匂わせます。しかし、他の愛人女性たちの間は渡り歩きながらも、絶対にあからさまな手出しはしてこない微妙な距離感を取り続けました。
菊池が面倒を見ていた中に、児童文学の騎手として知られる、馬海松(ま・かいしょう)という朝鮮出身の若手作家もいましたが、佐藤は菊池をスルーして馬と仲良くなってしまい、彼に呼ばれるままホテルに出かけ、そこで「二・二六事件」に遭遇したりもしています。
しかし、佐藤には菊池への執着もありました。菊池が佐藤の遠縁の女性相手に部屋を借り、定期的に通っていると聞いた佐藤は激怒し、嫉妬のあまり自分の手をマッチの炎でジューッと焼いて、菊池を焦らせています。
ゴッホかよ……という佐藤ですが、小説の末尾でタクシーに同乗していた菊池からようやく「このまま、あなたのところに行こう」と低い声で誘われたのに拒否。「あたしの意思がないから」「いまは、もうそうじゃないわ」などとズバーッと断って、佐藤による暴露小説『人間・菊池寛』は終了。
ワテは何を読まされてきたんや……! というラストですね。この私小説を新潮社から出版した佐藤は、作家業への転身を夢見ていたようですが、その後は残念、泣かず飛ばず。『人間・菊池寛』も長らく絶版でした。
しかし菊池の大ヒット作『真珠夫人』が平成14年(2002年)、フジテレビ系列の昼ドラ枠でリメイク放送され、大人気となった翌年、『人間・菊池寛』も新風舎から奇跡の復活を遂げたのでした。
画像出典:国立国会図書館「近代日本人の肖像」(https://www.ndl.go.jp/portrait/)主婦の友 20(12)12月號