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かつては「仲居さん」も売春をしていた!? プロ以外の女性に「性の相手」をさせる文化の歴史 

炎上とスキャンダルの歴史


江戸時代には、「旅館の仲居さん」のような一見、売春に関係のない職業でも、客の望みに応じて「性の相手」をする文化があった。その風潮は大正時代にも残っており、文豪で「小説の神様」として名高い志賀直哉も、アラフォーのころに20歳そこそこの仲居に手を出していたという。近現代の性モラルについて見ていこう。


 

■江戸時代には「仲居さん」にも売春がつきものだった

 

 フジテレビが「上納」疑惑で大炎上中です。女性をモノのように差し出し接待する文化のことですが、仮にフジテレビに上納文化があったとしても、それは特定の個人の指示で作られたシステムというより、テレビ局など華やかな職場で働く女性が受け入れねばならないリスクだったと考えたほうがいいのかもしれません。

 

 性的職業ではないのに売春のようなことをするのはおかしい、というわけでこの文化の異常性が糾弾されていますが、江戸時代にはさほど珍しいことではありませんでした。江戸の街に女性が50人いたのなら、その1人以上の割合で売春産業の関係者だったといわれるほどですが、それは一見、売春に関係ないと思われる職業にも「おまけ」の感覚で売春がついてきたからです。

 

 性のタブーが極めてゆるかったからなのですが、品川や板橋、新宿などは宿場町として知られ、その旅籠(旅館)で表向きは女中として働く女性が、客から望まれると、金銭を対価に性のお相手もする通称「飯盛女」と呼ばれる私娼でもあったという事実もあります。

 

 飯盛女というくらいですから、本当に宿泊客の食事の配膳や後片付けなどを担当する仲居さんなのです。しかしそんな女性ですら、求められたら売春もしていました。「上納」以前に、女性と見れば口説いて良いというゆるすぎる性モラルが江戸時代の日本を覆っていたことには驚かざるをえません。

 

■芸者ではなく「仲居さん」に手を出した志賀直哉

 

 さらに筆者にとって驚きだったのは、大正時代を代表する「白樺派」の文豪で「小説の神様」とまで呼ばれた志賀直哉も、仲居さんに手を出していたという事実でした。

 

 文学史に詳しい方は、志賀直哉はスランプの多い作家であることをよくご存知だと思います。現代風にいえばアラサーだった数年間、ほとんど書けなくなったのに続き、アラフォーとなった志賀もやはりスランプ沼にはまりこんでいて、千葉県・我孫子から京都に引っ越すことにしました。

 

 転地療法のつもりだったようですが、それだけではなんともならず、京都を代表する色街・祇園に出入りするようになってしまい、そこで知り合ったのが二十歳そこそこくらいの「お清」という仲居さんでした。

 

 そう、祇園で不倫したのに相手は芸者ではなく、仲居だったのです。さすが文豪、趣味が渋い……などといってはいけません。まだ若い彼女には色気などなく、「男のやうな女」でさえありましたが、「彼(志賀直哉)の妻では疾うの昔失はれた新鮮な果実の味があつた」そうな。「小説の神様」にしてはなかなかゲスい感覚ですね。

 

 本来、性的な存在ではないはずの仲居といった職種の女性も口説けばなんとかなるし、口説くのは悪いことではないとする風習。それらもかつての日本でまかりとおっていた、「えらい男性」の性の不祥事にきわめて優しい文化風土の一端であろうと思われます。その生き残りが、今日でもさまざまな企業で見られるセクハラ、性加害にもつながっていると感じられてならない筆者でした。

 

志賀直哉(『志賀直哉全集 』改造社 昭和6_近代日本人の肖像)

画像出典:国立国会図書館「近代日本人の肖像」 (https://www.ndl.go.jp/portrait/)

 

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堀江宏樹ほりえひろき

作家・歴史エッセイスト。日本文藝家協会正会員。早稲田大学第一文学部フランス文学科卒業。 日本・世界を問わず歴史のおもしろさを拾い上げる作風で幅広いファン層をもつ。最新刊は『日本史 不適切にもほどがある話』(三笠書房)、近著に『偉人の年収』(イースト・プレス)、『本当は怖い江戸徳川史』(三笠書房)、『こじらせ文学史』(ABCアーク)、原案・監修のマンガに『ラ・マキユーズ ~ヴェルサイユの化粧師~』 (KADOKAWA)など。

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