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大河ドラマ『べらぼう』愛妻家の将軍・家治を苦しめた“お世継ぎ問題” 大奥の権力争いのゆくえは?


大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』第6回「鱗剥がれた『節用集』」では、10代将軍・家治(演:眞島秀和)から日光社参を進めるよう命じられ、財政圧迫を懸念する田沼意次(演:渡辺謙)の葛藤が描かれた。背後にいるのは、将軍世子の家基(演:奥智哉)と、松平武元(演:石坂浩二)と繋がっているお知保の方(演:高梨臨)……という大奥を巻き込んだ複雑な構造である。この時の大奥がどのような状況だったかをみていこう。


 

■歴代将軍でも稀な愛妻家だった家治

 

 10代将軍・家治は、祖父の吉宗から将来を期待され、直々に帝王学や武術を仕込まれた。書画も得意とし、家治の描いた絵も現代まで伝わっているほか、趣味の将棋もかなりの腕前だったとされている。一方で政治にはあまり積極的に関わらず、父の家重の遺言通りに田沼意次を重用し、幕政は専ら家臣頼みだった。

 

 宝暦4年(1754)、家治が正室を迎え婚礼の式を挙げた。お相手は東山天皇の子・直仁親王の娘の五十宮(倫子女王)である。家治と五十宮は仲睦まじい夫婦で、宝暦6年(1756)には長女・千代姫が誕生。千代姫はわずか2歳で夭折したが、宝暦11年(1761)には次女の万寿姫が誕生している。

 

 2人の仲は良かったものの、世継ぎとなる男子に恵まれなかった。家治自身は側室をもつことに消極的だったものの、将軍にお世継ぎがいないままでは後継者問題でまた争いが起きてしまうと、近臣たちはしきりに側室を迎えて子をつくれと迫った。

 

結局、家治は田沼意次をはじめとする近臣の強い勧めで渋々側室を迎えている。そして、意次の推薦で側室になったお知保の方が宝暦12年(1762)に産んだのが、竹千代(後の家基)だった。さらに、竹千代誕生からわずか2ヶ月後、今度はもう1人の側室・お品の方が貞次郎を出産した。

 

 側室がいずれも男子を出産したために、正室の五十宮の立場が悪くなったかといえば、そうではない。家治は五十宮を尊重し、変わらず妻として愛し続けたという。その傍証に、家治は竹千代と貞次郎の両方を五十宮を養母として養育するよう命じた。その上、出産後はお知保の方のもとにも、お品の方のもとにも通わなくなったという。あくまでお世継ぎを、という家臣の言葉に従ったまでと言わんばかりだ。

 

 貞次郎は生後3ヶ月で夭折したものの、竹千代は五十宮の養子となり、文武に優れた聡明な次期将軍として成長した。

 

 家治が愛した五十宮が世を去ったのは、明和8年(1771)のこと、34歳だった。そして五十宮の死後、御三家のひとつ、尾張徳川家への輿入れが予定されていた万寿姫もまた、13歳で逝去してしまう。家治の哀しみは筆舌に尽くし難いものがあっただろう。

 

 そんな家治の哀しみとは別に、大奥では五十宮がいなくなったことで家基の生母であるお知保の方の権力と存在感が一気に増したのだった。

イラストAC

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歴史人編集部れきしじんへんしゅうぶ

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