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かつては最高「70%」!? 日本の所得税はどのように変わってきたのか?

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■意外と浅い「所得税」の歴史

 

税金

 一流のアスリートなら億単位の年棒も珍しくないが、彼らは額面通りの金額を自由に使えるわけではない。年棒が3億円であれば1億円以上、税金として納めねばならないからだ。このように所得に応じて国に納める税金を所得税と言う。

 

 所得税の歴史は意外と浅く、1799年のイギリスに始まる。イギリスは世界で最初に産業革命を経験した国だが、それと所得税の間に直接の因果関係はなく、このときの所得税はあくまで対フランス戦争の経費を賄うための臨時税で、ナポレオンの敗北と流刑により平和が到来するとともに廃止された。

 

 それが3年間の期限付きで復活したのは財政赤字が深刻化した1845年のことで、3年ごとの延長を重ねるうち、いつしか永続化して今日に至る。ヨーロッパではスイス、プロイセン、イタリアがイギリスに倣い、東アジアでは日本が先頭を切った。

 

■富裕層にのみ課せられていた所得税

 

 日本が所得税を導入したのは1887年のこと。富国強兵を図るには新たな財源の確保が必要であり、従来の地租と酒税頼みの税制では地主にばかり負担がかかる。不公正を是正する意味からも明治初期から検討が重ねられ、イギリスの税制をもとにしながら、プロイセンのそれをも参考にして生まれたのが明治日本の所得税だった。

 

 対象は年間所得が300円以上の者というから、いわゆる億万長者、都市部の富裕層が該当した。当時の300円は令和の貨幣価値に換算すると約600万円。年収が数千万円以上の人に限られるから、絶対数はそう多くなかったはず。事実、導入当初、所得税が国税収入に占める割合は1~2パーセント程度にすぎなかった。

 

 けれども、国を挙げて産業社会への展開を推し進める状況下であれば、所得税の占める割合は年々上がり、1889年の全面改正で法人が課税対象に加えられると、上昇の勢いはさらに強まり、1917年には地租・酒税を抜いて、税収のトップに躍り出た。関東大震災の影響でしばらく鳴りを潜めるが、1935年には再び税収のトップに返り咲いた。

 

その頃には同じ所得税でも法人所得税が個人のそれを上まわり、所得が5000円以上の高額所得者に対しては超過累進制を採用するなど、累進課税の先駆けと呼べる制度も登場した。

 

■「労働意欲が削がれる」と70%から50%へ引き下げ

 

 戦後は累進課税の本格導入に伴い、所得に応じた税率の細分化が進められ、1986年には最高70パーセントから最低10・5パーセントまでの15段階が設けられた。1億円の所得があったら7000万円を所得税として納めなければならなかったのである。

 

 さすがにこれでは労働意欲が削がれるというので、1994年には50パーセント、2006年には37パーセントにまで引き下げられるが、格差社会の本格的な到来を受け、2022年には再び45パーセントに上げられ、段階の数は7つ、最低税率は5パーセントと定められた。

 

 現在の日本の所得税はヨーロッパの英・独・仏と同レベルの税率だが、住民税や消費税、消費税以外の間接税、相続税など税支出の総額と受けられる公共サービスのバランスが取れているかは別問題で、おかしな点を見つけたら、思いを同じくする仲間と集い、何らかの行動を起こすのが国民としての権利であり、義務でもある。この世の中、役人と政治家だけに任せていては、ちっともよい方向に変わらないのだから。

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過去記事

島崎 晋しまざき すすむ

1963年東京生まれ。立教大学文学部史学科卒業。旅行代理店勤務、歴史雑誌の編集を経て、現在、歴史作家として幅広く活躍中。主な著書に『歴史を操った魔性の女たち』(廣済堂出版)、『眠れなくなるほど面白い 図解 孫子の兵法』(日本文芸社)、『仕事に効く! 繰り返す世界史』(総合法令出版)、『ざんねんな日本史』(小学館新書)、『覇権の歴史を見れば、世界がわかる』(ウェッジ)など多数。

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