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戦国時代の家臣の人たちの収入源ってなんだったの⁉ 恋愛や結婚はどうしてたの?【戦国家臣のQ&A】

戦国最強家臣団


戦国武将の活躍は華やかだし、日本人のだれもが知っているほど、有名になった武将もいる。しかしながら、その活躍を支えたのは、家臣団である。でも、家臣の人たちの給料ってどうなってたの?恋愛とか結婚って普通にしてたの? など、ここでは家臣団にまつわるシンプルな疑問に迫る。


 

※イメージです

 

Q.家臣の収入源はどうなっていた?

 

■与えられた土地からの年貢によって賄われていた

 

 家臣は主君から一定の土地を与えられる。その土地からあがる年貢が収入源である。これを知行宛行(ちこうあてがい)といい、そのことを文書にした知行宛行状も多く残されている。知行ははじめ貫高制だったが、やがて石高制となり、石高に応じた軍役が賦課されることになる。つまり、知行を与えられる「御恩」に対し、軍役を奉仕する「奉公」というわけで、「御恩」と「奉公」の封建的主従関係が築かれる。

 

 家臣たちは、いい働きをして主君に認められ知行を増やして出世することを夢みるわけであるが、主君も、家臣に与える土地を増やしたいと侵略を続けることになる。

 

Q.家臣は自由に恋愛・結婚できたのか?

 

■自由恋愛による結婚は基本的に認められず、ほぼ政略結婚だった

 

 豊臣秀吉とその正室・ねねの結婚など、身分が低い家臣の場合は恋愛結婚ということもあったが、ある程度の身分になると自由恋愛による結婚は認められず、政略結婚がほとんどであり、親が決める場合もあれば、主君が家臣団の結束を強めるために仲立ちをすることもあった。

 

 また、戦国大名家によっては、分国法で他国の人との通婚を禁止している例もあった。駿河の大大名・今川氏親(いまがわうじちか)が制定した『今川仮名目録』にはそうした条項が見える。

 

監修・文/小和田哲男
歴史人2024年6月号「戦国最強家臣団」より

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