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その戦いぶりは鬼神の如し!船体が二分されてなお砲撃を続けた軽巡洋艦【神通】

大海原で死闘を演じた日本海軍 その知られざる戦いを追う【第2回 コロンバンガラ島沖海戦】


昭和17年(1942)7月2日、アメリカ軍はソロモン諸島を足がかりとした反抗作戦を発動。作戦名を「ウォッチタワー」と名付けた。そして8月7日に大挙ガダルカナル島に上陸し、その後約半年に渡る死闘を演じた。ガダルカナル島をめぐる死闘に終止符が打たれた後、戦場はソロモン諸島西部へと移ったのである。


コロンバンガラ島沖海戦勃発直後、集中攻撃を受け船体が真っ二つになりながらも、残された前部砲塔だけで約2時間も戦い続けた軽巡洋艦神通。5500トン型軽巡洋艦の川内型2番艦として大正14年(1925)7月31日に就役。

 ガダルカナル島から撤退後、ソロモン諸島の新たな防衛線をどこに置くか、陸海軍の意見は衝突した。陸軍はラバウルまで後退することを提案するが、海軍は制海権確保のためソロモン諸島中部に防衛線を置くことを主張した。結局、ニュージョージア島に防衛線が置かれた。ところが米軍は、すぐさま攻撃を仕掛けてきたのである。昭和18年(1943)6月30日には、ニュージョージア諸島南西部に位置するレンドバ島に上陸してきた。さらに7月5日には、ニュージョージア島にも上陸を開始している。

 

 これに対し日本軍は、航空機と水雷戦隊による反撃を行った。そして5日の夜には兵員2400名、物資約180tを載せた7隻の駆逐艦と支援の駆逐艦3隻が、ニュージョージア島の北西に浮かぶコロンバンガラ島に向かった。

 

 だがその動きはアメリカ海軍36.1任務群に察知されていて、両軍はニュージョージア島とコロンバンガラ島の間のクラ湾で激突。このクラ湾夜戦では、日本軍はアメリカの軽巡洋艦1隻を沈めるも、本来の目的であった輸送は兵員1600名、物資90tが陸上げされただけの、不完全な形で終わってしまう。

 

 9日にはコロンバンガラ島の一部兵力をニュージョージア島に輸送する作戦が行われた。輸送作戦は、ニュージョージア島のアメリカ軍に対し事前に艦砲射撃を行ったことや、航空機による支援があったこともあり、陸兵1200名、物資約85tを無事に送り届けた。

 

 同時にこれは、コロンバンガラ島の兵力が減少したことになる。そこで第八方面軍司令官今村均(いまむらひとし)中将は、歩兵第45連隊から第2大隊と砲兵1個中隊、合わせて1200名と物資約100tをコロンバンガラ島に送ることにした。この輸送作戦は、第2水雷戦隊司令官に着任したばかりの伊崎俊二(いざきしゅんじ)少将に委ねられた。

昭和18年(1943)1月、第二水雷戦隊司令官に就任した伊崎俊二少将。同年7月、ラバウルに進出してすぐ、コロンバンガラ島への輸送作戦を指揮。同島沖合で起こった海戦で旗艦神通とともにソロモンの海に没した。

 7月122235分、米海軍36.1任務群の索敵機が日本艦隊を発見。日本側の布陣は旗艦が軽巡「神通(じんつう)」、それに駆逐艦「清波(きよなみ)」「三日月」「浜風」「雪風」「夕暮」、輸送隊として駆逐艦「皐月(さつき)」「水無月(みなづき)」「夕凪」「松風」が参加、というものであった。

 

 米海軍36.1任務群は主隊に旗艦の軽巡「ホノルル」、それに軽巡「セントルイス」、ニュージーランド海軍から軽巡「リアンダー」が布陣。それに前衛部隊として駆逐艦5隻、後衛部隊にも駆逐艦5隻が参加している。

 

 索敵機に発見されたおよそ10分後、日本艦隊も連合軍艦隊を発見し、輸送艦隊を南西方面に避難させた。2303分、急速に接近した両軍は、お互いを目視で確認、激しい砲撃・雷撃戦が始まった。こうしてコロンバンガラ島沖海戦の火蓋が切られた。

1943年7月12日、コロンバンガラ島沖海戦において激しい砲撃を開始した軽巡リアンダーとセントルイス。この攻撃は、日本側の旗艦である軽巡神通に集中した。神通は船体が二分されたが、その後も攻撃を続けた。

 戦いが始まってすぐ、サーチライトによる照準射撃を行っていた旗艦神通が集中放火を浴び、艦橋に砲弾が直撃して司令官の伊崎少将が戦死する。それでも神通は主砲を撃ち続け、7本の魚雷も発射。ところが米駆逐艦が放った魚雷が命中し、船体が真っ二つに分断された。後部は瞬時に沈んだが、前部は沈まなかったので、残された一番砲塔のみで戦い続けた。2322分には軽巡リアンダーに魚雷が命中。これで戦闘不能となったリアンダーは駆逐艦2隻に付き添われ、戦場を離脱する。この時、36.1任務群は前衛駆逐艦部隊の所在がわからなくなっていた。

 

 日本側の駆逐艦部隊は、魚雷装填のため孤軍奮闘の神通を残し、海域を一時離脱。その間に36.1任務群は体勢を立て直し、日本艦隊攻撃を準備する。2355分頃、旗艦ホノルルのレーダーが複数の艦影を捉えた。だが司令官のエインスワース少将は、これを所在不明の味方駆逐艦だと考え、攻撃を控えた。

 

 しかしこれは魚雷装填を終え、再び米艦隊に向かって来た日本駆逐艦部隊であった。日付が変わり7月13日0時5分、日本の駆逐艦部隊は沈黙する米艦隊に向け魚雷、主砲による一斉攻撃を開始する。

 

 軽巡セントルイスに魚雷が命中、艦首が破壊された。軽巡ホノルルには2発の魚雷が命中する。駆逐艦グウィンも魚雷を受け大破炎上し、味方によって海没処分された。大混乱のなか、駆逐艦ウッドワースとブキャナンが衝突事故を起こし大破する。

アメリカ海軍の駆逐艦グウィン。艦名は南北戦争当時の海軍士官ウィリアム・グウィン少佐の名前から。就役は1941年1月15日し、大西洋で任務に就いていた。真珠湾攻撃後に、パナマ運河を越えて太平洋に進出していた。

 0時30分には、日本側が戦場を離脱。エインズワース少将は追撃を命じたが、それに従ったのは僅かに駆逐艦ラルフ・タルボット1隻だけであった。この間、輸送隊はコロンバンガラ島への将兵・物資の陸揚げを無事に完了、作戦は成功のうちに終了した。

 

 開始直後に集中攻撃を受け、大爆発を起こしつつも船体前部のみで2時間以上も戦い続けた神通の最期は、どんなものであったか誰も知らない。早朝に駆逐艦皐月と水無月が捜索に向かったが、艦影はおろか一人の生存者も発見できなかったのである。

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野田 伊豆守のだ いずのかみ

1960年生まれ、東京都出身。日本大学藝術学部卒業後、出版社勤務を経てフリーライター・フリー編集者に。歴史、旅行、鉄道、アウトドアなどの分野を中心に雑誌、書籍で活躍。主な著書に、『語り継ぎたい戦争の真実 太平洋戦争のすべて』(サンエイ新書)、『旧街道を歩く』(交通新聞社)、『各駅停車の旅』(交通タイムス社)など。最新刊は『蒸気機関車大図鑑』(小学館)。

 

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