興国寺城、長久保城、深沢城、葛山城…戦国の薫りを色濃く残す「沼津の名城」たちを大河ドラマ時代考証・平山優氏とめぐる
”戦う歴史学者”平山 優とめぐる沼津の城めぐり②
■戦国北条氏の歴史が「沼津の城」に詰まっている
『歴史人』本誌でもおなじみの歴史学者・平山優先生による沼津戦国史跡バスツアー、2日目の最初に訪れたのは、北条早雲旗揚げの城と伝わる興国寺城!
ところが平山先生曰く、「たぶん違います」という説明。なんですとっ!
「伊勢宗瑞がいた城は駿河・焼津の石脇城とほぼ確定されているのです。ではこの城は関係ないかというとそうではなく、宗瑞が伊豆攻めの前線拠点にしていたのは間違いないと思います」とのこと。
その後、興国寺城は天文年代に今川氏支配下となりますが、今川氏と北条氏の和睦後、永禄11年に武田信玄が駿河侵攻した際に北条軍が今川氏真を支援する名目で出兵し、再び興国寺城を自領に収めることとなりました。元亀2年には北条と武田の同盟(甲相同盟)が復活すると興国寺城は武田に明け渡されますが、それまで垪和氏続(はがうじつぐ)が城主として存城していたということです。
そんな興国寺城ですが、とにかくその広さに驚くばかり。というのも、二の丸と本丸の間には堀や土塁が残っておらず、旧観がわからなくってしまっている。遠くに見える天守台の切岸まですごくなだらかな傾斜が続いているばかり。手元の縄張り図がなければ、どこまでが二の丸で、どこからが本丸かがまるで分からないと思います。さらに面白いことに、縄張り図では二の丸に馬出しの表示がありますが、先生によると「発掘の結果出てきました。武田流の丸馬出しが存在したということです」と。確かにそこの部分だけ三日月状にうっすら芝の色が変わっていることが、後に行く天守台から見るとよく分かりました。

本丸に鎮座する高尾山穂見神社には北条早雲の碑がある。
続いて見学したのは天守台と大空堀で隔てられた北曲輪。この大空堀が巨大で深くてダイナミックなため、そのV字を上り下りするのは大変でしたが、「興国寺城は愛鷹山から伸びる台地の先端部分にあります。その岩盤を掘りぬいて大空堀を造り、北からの侵入に備えました。同時に東には清水曲輪を整備し、攻め入るとすれば根方道のある南側からですが、道は細く、さらにかつては浮島沼という沼が広がっており大軍は思うように進めないのです」と平山先生。まさに要衝というわけです。

天守台(左側)と北曲輪(右側)を隔てる大空堀を歩く。
そしていよいよ天守台と伝わる場所ですが、発掘された石列などからここには相当高い建物があったことが推定されているようです。もしも天守が存在したならば、当時なら駿河湾まで見通せたのではないでしょうか。

天守台から根方道を臨む。丸馬出しの跡が分かる。
次に訪れたのは天文5年(1536)の花倉の乱に乗じて北条が今川からぶん取った長久保城です。開城させた北条幻庵がそのまま入りますが、天文14年の第二次河東の乱で今川・武田の連合軍に攻められ、信玄の仲介のもと北条が今川に長久保城を開け渡す形で和睦しました。
そういった歴史の重要な舞台でたびたび登場する城なんですが……現在m本丸だった場所はショッピングモールが建っており、残っているのは南郭のみ。それも公園になっており、八幡曲輪との間の土塁が残っている程度でした。残念!

南郭は公園になっており八幡曲輪との間に土塁が残るのみ。
御殿場アウトレットで昼食を摂った後は、同市にある深沢城へ。
この城の築年は分かっていないとされていますが、平山先生によれば永禄12年であるといいます。「武田信玄の駿河侵攻開始後、駿東郡と足柄峠を防衛するために、北条氏が深沢に新しい拠点をつくったんです」と語る。
最初は北条氏重臣の松田憲秀が入り、その後一門の北条綱成が在城することになるのですが、元亀2年に武田軍に包囲されると綱成は信玄の説得に応じ深沢城を開け渡しました。
この時の逸話が、かの有名な「信玄の矢文」として伝えられてられているのですが、平山先生は、「信玄は降伏を促すために矢文を射たと伝えられています。その内容は、本来北条と武田は戦をするべき間柄ではなかった、すべて今川氏真が悪いんだ」というもので、いい加減降伏しなさいと言ったものでした。その文章が本物なのかニセモノなのか議論がずっとあったんですが、今は史実だと考えられています」

本丸の北端。奥の林の先には馬伏川が流れている。
一行は三の丸、二の丸、本丸と巡り、帰りは城の西側を流れる馬伏川の崖沿いを歩いたのですが、平城とはいえ自然の要害を利用したこの城を落とすのはなかなか容易ではないでしょう。
先述した信玄による包囲戦では金堀衆が投入され、地下を掘り進めたそうですが、仮に正面から強引に攻めたとしたら、武田側にも相当な被害が出たのではないでしょうか。

本丸西側から馬伏川を見下ろす。地形をうまく利用した造りだ。
さて今回のバスツアーもいよいよ佳境! 最後は裾野市にある葛山城および葛山館です。葛山氏はNHK大河ドラマ『光る君へ』にも登場する藤原道隆の嫡男・伊周がルーツとされ、駿東郡で勢力を誇り今川氏や北条氏、さらには武田氏とも縁戚関係を結んだ一族。菩提寺である仙年寺の裏山一帯を葛山城として居城にしていたのですが、まあ大変! 標高270m、比高70mなんですが、とにかく真っ直ぐな登り道で、息も切れ切れ。それをスタスタ登って行く平山先生……先生ホントに還暦ですか?
ここでは東曲輪、大手曲輪、帯曲輪、本丸、そしていったん山を下りて葛山館を見学したのですが、最後の最後にキツイのをいただきました(私だけ?)。

本丸や大手曲輪へは葛山氏代々の墓から上にまっすぐ登っていく。

大手曲輪。大手口からの敵を迎え撃ち、迂回させるための重要なスポット。
帰りに参加者の方にツアーの感想をお話しをお聞きすると……。
「沼津はもともと歩きたかったのでちょうどよかったです。個人だと車がないとこれだけの数の城や史跡は行けないですし、平山先生は実際に実地調査して歩かれているので、その解説を聞きながら見て周れたので非常に楽しかったです」と満足気。殺陣で有名な故・林邦史朗先生に師事し、お城EXPOにも第一回から通っていたそうです。
そして当の平山先生も、
「3か月に1回くらいは場所を変えて、こういうツアーをやりたいよね」と心強いお言葉! 今回は単発の企画でしたが、準備が整い次第、第2回、第3回とツアーを行う可能性も大いにあます。今回参加できなかった方は次回の開催を期待してお待ちくださいませ。
現場からは以上です!