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夜な夜な男を連れ込み乱交する悪女!? 豊臣秀頼の妻・千姫の「吉田御殿」伝承とは

日本史あやしい話31


家康の孫娘であり、秀吉の息子・秀頼の元に嫁がされた千姫。大坂の陣で秀頼は敗れて自害するが、千姫は救い出され、本多忠刻と結婚。その後は穏やかな人生を送った彼女だが、なんと江戸時代の「吉田御殿」という伝承の中では「淫欲にふける悪女」として描かれている。「播州皿屋敷」や「番町皿屋敷」とも関連があるというが、どういうことなのだろうか?


 

 

■大坂の陣後の、つつましくも心穏やかな日々

千姫の墓

 徳川家康の孫娘であり、豊臣秀頼に嫁いだ女性・千姫。大坂の陣で秀頼は自害するが、彼女は救い出され、本多忠刻と結婚した。その後千姫は、1618年に長女を、1619年に長男を産んだものの、長男は3歳で夭折。のちに夫・忠刻や母・お江までもが亡くなり、失意のうちに江戸へと戻っている。その後は天樹院として、夫や息子の冥福を祈りながらの生涯だったとか。

 

 一時期、娘・勝姫と共に暮らしていたが、1628年に勝姫が池田家に嫁いでからは寂しい思いもした。しかし、幾度となく孫に対面したりと、ささやかながらも、心穏やかな日々を過ごしたようである。

 

 1666年、70歳まで生き長らえたというから、夫を早く亡くしたという不運はあったものの、この時代にあっては長寿で、それなりに穏やかな人生を歩んだ女性であったというべきかもしれない。

 

 ところが、史実としての彼女の性格は穏やかだったと思われそうなのに、「吉田御殿(千姫御殿)」として言い伝えられる物語の中での千姫像は、これとは大きく異なるようである。なんとここでは、夜な夜な美男を館に招き入れては殺すという、「淫欲にふける悪女」として描かれているのだ。

 

■淫欲にふける千姫物語と「皿屋敷怪談」

 

「吉田御殿」の物語の中で、千姫は館に招き入れた男は二度と生きては戻さなかったという。もちろん、近寄る男がいなくなったことはいうまでもない。

 

 そこで千姫が新たに引き込んだのが、同御殿に仕えていた花井壱岐という名の若侍であった。千姫の花井に寄せる想いは相当なもので、それは、花井が彼女の目を盗んで、侍女・竹尾に手をつけた時の仕打ちのおぞましさからも明らかであった。

 

 嫉妬に狂った千姫は、侍女の顔に焼火箸を押し当てて無残な姿にしたばかりか、花井までも薙刀で斬り殺して、侍女共々、古井戸に投げ込んでしまったのである。もちろん、祟って出た。

 

 二人の亡霊が、毎夜井戸の上に現れて、「うらめしや〜」とやったからたまらない。さすがの千姫も、これには参ったようで、手をすり合わせて許しを乞い、以降、男を断ったと締めくくるのである。

 

 ところが、彼女の死後、吉田屋敷は空屋敷(更屋敷)となったまま荒廃。いつしか妖怪屋敷と呼ばれて恐れられるようになったとか。この騒動を元に怪談話として、歌舞伎や浄瑠璃、講談などを通して伝えられるようになったのが、「播州皿屋敷」あるいは「番町皿屋敷」であった。

 

 播州版と番町版ではストーリーが多少異なるが、お菊なる下女が皿を落として割る、あるいは紛失したとして、お手打ちにあって井戸に投げ込まれるところは同じ。「いちま〜い、にま〜い」と皿を数えるお菊の声、思い起こすだけでも鳥肌が立ちそうである。

 

 

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藤井勝彦ふじい かつひこ

1955年大阪生まれ。歴史紀行作家・写真家。『日本神話の迷宮』『日本神話の謎を歩く』(天夢人)、『邪馬台国』『三国志合戰事典』『図解三国志』『図解ダーティヒロイン』(新紀元社)、『神々が宿る絶景100』(宝島社)、『写真で見る三国志』『世界遺産 富士山を行く!』『世界の国ぐに ビジュアル事典』(メイツ出版)、『中国の世界遺産』(JTBパブリッシング)など、日本および中国の古代史関連等の書籍を多数出版している。

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