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どのようにして〝古墳〟と認定されるのか⁉─全国に16万基ある古墳─【日本古代史ミステリー】

令和の定説はコレだ!古代史【研究最前線】


ただの山と古墳の違いは、一見しただけではわからない。どういった判断のもとその認定はされたのだろうか?


 

■古墳についての基礎知識

 

五色塚古墳

 

「古墳」とは縄文時代や弥生時代のものではなく、小さくとも国家体制が整ってきた時代に造られた古代人の墳墓である。墳型では前方後円墳が登場するころからを指す。研究が進むほど古墳時代の始まりは遡り、今では3世紀半ばを弥生時代から古墳時代への画期とする説が主流となりつつある。古墳は8世紀初頭まで築造される。

 

 今のところ、最古級の本格的前方後円墳は奈良県桜井市にある大市墓(箸墓)だと考えられている。

 

 現在の古墳は再現されない限りこんもりと木の茂った小山にしか見えないが、『日本書紀』や『古事記』に記録されている大王(天皇)陵や、各地の『風土記』や口伝をもとに、地方の古墳が認定される。

 

 また、新設道路工事や宅地の開拓工事で発見される古墳も数多い。

 

 ただの山と古墳の違いは、地山の上につき固められて層になった版築の盛り土があり、周囲に溝があるなどする。もちろん埋葬設備が出土すれば間違いがない。

 

 それが弥生時代の墳丘墓なのか、次の時代の古墳なのかを判定するためには、同時に出土する土器片や副葬品などが時代特定の役に立つ。

 

 古墳の調査は国や当該地方自治体の教育委員会が責任をもって行う。史跡として認定をするのも文部科学省(文化庁)や地方自治体である。

 

 弥生時代の墳丘墓からも出土する鉄製品は、古墳時代になると種類も多岐にわたり、本格的に鉄器の時代になったことを示すのである。

 

 また、古墳からは大量の鉄のインゴット「鉄鋌」が出土することもあり、当時の社会で鉄は最重要な貴金属でもある。これを大量に埋納される被葬者は強大な権力を有していたと考えてよいだろう。

 

 古墳といえばその全体を囲むように飾られる円筒埴輪が特徴だ。

 

 もっともポピュラーで生産数は数えられないほどの円筒埴輪のルーツは、吉備地方の古墳から出土した特殊器台だと考えてよい。これは装飾された円筒の上に、つぼ型の器を乗せる台のようなもので、これがやがて円筒埴輪に進化する。

 

 つまり、当時の吉備地方が大和国建設に大きな影響力を持っていたことが想像されるのである。

 

 さて、そういった古墳が全国には16万基あるといわれているが、未発見のものや喪失したものを考慮すると17万基を超えるだろう。

 

 古墳はほぼ全国に分布している。

 

 古墳時代の特徴である前方後円墳は大和王権の広がりを知る重要な遺跡で、地方に無数にあったと思われる小国が大和王権傘下に入る様子を示している。

 

 例えば埼玉県行田市の稲荷山古墳から発見された金錯銘鉄剣には表面57文字、裏面58文字の115文字が刻まれていることがエックス線調査で判明したが、大和の「ワカタケル大王」の近衛隊長を務めた人物が被葬者であることが分かった。ちなみにこの大王は雄略天皇だと考えられている。

 

監修・文/柏木宏之

歴史人2023年10月号『「古代史」研究最前線!』より

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