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後ろ向きに砲を積んだ前後逆の【対戦車自走砲アーチャー】─戦車ビフォー・アフター!─

戦車ビフォー・アフター!~ニーズが生み出した異形の装甲戦闘車両たち~【第1回】


戦車が本格的に運用され「陸戦の王者」とも称されるようになった第二次世界大戦。しかし、戦車とてその能力には限界がある。そこでその戦車をベースとして、特定の任務に特化したAFV(装甲戦闘車両)が生み出された。それらは時に異形ともいうべき姿となり、期待通りの活躍をはたしたもの、期待倒れに終わったものなど、さまざまであった。


 

【After】
アーチャー対戦車自走砲。一見するとドイツの同様の車両のように、砲が向いているほうが前のように見えるが実は後ろで、写真では左端の戦闘室の尖ったところに操縦席が設けられており、走行時はこちらが前になる。

 イギリス屈指の老舗兵器メーカーであるヴィッカース・アームストロング社は、ヨーロッパに戦雲が垂れ込めた1930年代中頃、プライベート・ベンチャーとして自社の既存製品であるA10巡航戦車をベースに、重装甲化した歩兵戦車を開発した。同車は陸軍からの要請で開発したものではないため、「A」で始まる陸軍参謀本部開発番号は与えられていない。

 

 重装甲化するに際して、車体を小さくすることで重量の削減を図ったため比較的コンパクトにまとまったこの歩兵戦車は、陸軍に採用されてヴァレンタインの名称が与えられ、第二次大戦の緒戦に投入された。機械的信頼性が高く故障や不具合が少ない名車だったが、車体が小さいせいで大口径砲が積めないことが欠点で、戦争中盤以降は「普通の戦車」として運用される機会が激減した。

 

 実はイギリス戦車は、第二次大戦の緒戦から、性能面でドイツ戦車の後塵を拝していた。やがてドイツでティーガーやパンターといった「猛獣シリーズ」とも称される強力な戦車が登場すると、イギリス戦車の劣位はさらに広がった。

 

 しかしイギリスとて、ただ手をこまねいていた訳ではない。大戦の中盤には、ティーガーやパンターを撃破できる強力な17ポンド砲(76.2mm砲)を開発した。ところが、砲自体はできたものの、従来のイギリス製戦車砲よりもはるかに大きいため、搭載可能な戦車がないという事態が起こった。

 

 そこでアメリカ製のM4シャーマン戦車を改造して17ポンド砲を搭載したシャーマン・ファイアフライを超特急で開発したが、対戦車砲兵部隊に配備する、同砲を搭載した対戦車自走砲もほしいということになった。

 

 目を付けられたのは、装軌式(そうきしき)車両としての信頼性は折り紙付きながら、戦車としては発展の限界にきていたヴァレンタインである。だが、小柄な本車に大きな17ポンド砲をまともに積むことは困難だった。

 

 ならどうするか。まず砲塔を撤去し、薄い装甲板で上方が完全に開放された固定戦闘室を設ける。そしてその戦闘室に、なんと後ろ向きに17ポンド砲を搭載したのだ。

 

 17ポンド砲は全周旋回せず、後ろ向きにしか撃てないので運用が難しいと考えられたが、実戦下では射撃後に速やかに移動して別の場所から次弾を撃てるので敵に見つかりにくく、かえって使い勝手がよいことが判明。1944年中旬から実戦配備され、その「後ろ前」の妙な姿にもかかわらず、優れた戦果をあげた。そのため、戦後もイギリスの同盟国で1950年代初頭まで運用が続けられた。

 

 なお、生産台数は655両と伝えられる。

 

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過去記事

白石 光しらいし ひかる

1969年、東京都生まれ。戦車、航空機、艦船などの兵器をはじめ、戦術、作戦に関する造詣も深い。主な著書に『図解マスター・戦車』(学研パブリック)、『真珠湾奇襲1941.12.8』(大日本絵画)など。

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