エジプトの「クフ王」ってピラミッドは世界一大きいけど、すごい王様だったのか?
本当はおもしろい「古代エジプトの歴史」入門⑥
下辺の長さが約230m、高さ約146m。世界一大きなピラミッドであるクフ王のピラミッドの大きさである。世界遺産にも登録され、世界中の人々に知られている「クフ王」の名だが、どんな王様だったのか、あまり知られていない。ここでは、知名度ばかりが先行しているクフ王の人柄や評価などに迫りたい!
■とんでもない暴君であり、エジプトの繁栄を目指した名君でもあった⁉

(写真1)クフ王像
エジプトの歴史のなかで「ピラミッド時代」という異名を持つ古王国時代の第4王朝2代目の王であったクフ(ギリシア語ではケオプス/写真1)の名前は現在、世界中の人々が知っている。その理由は、クフのためにギザ台地に建造された大ピラミッドにある。
圧倒的な巨大さを身に纏(まと)う大ピラミッドの外観は、建造された4500年前から今もほとんど変わらない。そしてこの大ピラミッド建設が奴隷や国民に強いた過酷な強制労働の賜物であり、残虐な王としてのクフ王の特性を示しているのだとされてきたのである。このような印象をクフ王が人々に与え続けて来た史料証拠として、以下の紀元前5世紀の古代ギリシアの歴史家ヘロドトスによる記述の内容が挙げられるであろう。
「……すべてのエジプト人たちを強制的に自分(クフ)のために働かせた。アラビアの石切り場からの石材をナイル河まで運ばされた者もいれば、船でナイル河を渡り、対岸に運び込まれた石材を受け取り、いわゆるリビア山地まで曳いていくという仕事を命じられた者もいた。常に10万人もの人が三ヶ月交替で労働に従事したのである。……ピラミッド完成まで20年掛かったと言われている」
またクフ王に関しては他にも数多くのネガティブなエピソードが残っている。それらのなかで最も有名なものがクフ王のピラミッド近くに建造された小型のピラミッド(写真2)にまつわる話だ。ヘロドトスの『歴史』では以下のように描かれている。

(写真2)クフ王のピラミッド近くに建造された小型のピラミッド
「クフ王は、ありとあらゆる悪事を働き、ついには自らの財産をも失ったのだ。すると彼はこともあろうか、自分の娘である王女を娼家に売り払うことで、資金の調達を命じたのである。……王女は、自分のために何か記念になるものを残したいと考え、彼女目当てに娼家に通って来る客の一人一人にピラミッド用の石材を一個ずつ寄進させた。そうして小型のピラミッドを建造したのである」
つまり、クフは王であるのに自分の娘を売るような行為までする悪い奴という評価・評判を古代から人々に受けていたのである。一国の国王がお金に困るという話は、人類の長い歴史のなかでは事例が幾つもある話しではあるが、豊かなナイル河を核として繁栄していた当時のエジプトでは考え辛いことである。そのため王女を娼家で働かせたというのは、もちろん事実ではなく、伝説に過ぎなかったと思われるが、要はそれほどクフ王という人物は、庶民に人気が無かったという証明でもあるのだ。
このようなクフ王に対する後世の人々による酷い扱いは、やはりクフ王が大ピラミッドという想像を絶するほどの巨大な建造物を建ててしまったことが最大の原因なのであろう。それゆえに後世少しねじれた評価を人々に与えてしまったのだ。ハリウッド映画などでしばしば描かれたピラミッドを建設するシーンにおいて、いつでも奴隷が役人に鞭でしばかれながら、ピラミッド用の巨大な石材を大人数でロープを引き運ばされているという場面と同じイメージがすでに古代世界にもあったのだということなのであろう。
しかしながら、彼の真実の偉大さは、王としての他の活動からも見て取れる。例えばクフ王は東方に目を向け、シナイ半島にトルコ石やマラカイト(孔雀石)を採鉱するための遠征隊を派遣し、またその先にある東地中海沿岸の都市ビブロスにもレバノン杉などの大型木材を求めて遠征隊を派遣したことで知られている。
中央集権化を国家の基盤として、国家プロジェクトであるピラミッドをはじめとした巨大建造物の建築を推進し、同時に対外戦略・活動を積極的に展開したのだ。そのアクティブな活動は、クフ王が暴君・不人気であったという印象よりも国の繫栄を目指し、ナイル世界という限られた空間を超えた周辺諸地域における対外関係を重視していた視野の広い偉大な指導者であったことを示しているのである。