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じつは残酷なおとぎ話「一寸法師」。隠された “歴史の真実”とは?

日本史あやしい話13


『御伽草子(おとぎぞうし)』に記された一寸法師は、ちまたに流布する一寸法師とはひと味もふた味も異なる。しかも、実は単なる作り話ではなかった。これを紐解けば、謎めく日本の歴史の一端に触れることができるのだ。物語に記されたキーワードを頼りに、秘められた歴史を探り出してみたい。


 

■じつは残酷だった『御伽草子』一寸法師

 

『御伽草子』一寸法師

 一寸法師とは、いうまでもなく物語集『御伽草子』に登場するお話である。な〜んだ、ただの作り話じゃあないか……と侮ることなかれ。これを紐解けば、意外や日本の歴史の一端に触れることができるのだ。

 

 何はともあれ、まずは物語の概要から見ていくことにしよう。最初に登場するのは、子のない翁(おきな)と嫗(おうな)の老夫婦である。子宝に恵まれるようにと住吉大神(すみよしのおおかみ)に祈るところから始まる。

 

 そのご利益あってのことか、二人の間に子が生まれたものの、身長が一寸(約3センチ)しかなく、何年経っても大きくならなかったという。老夫婦はこれを儚んだ。そればかりか、バケモノのようだと嘆き、挙句、「追い出してしまいたい」とまで話し合っていたというから、世に流布するのどかなお話とは違って、なんとも残酷である。

 

 もちろん一寸法師も、両親のこの思いに気が付いた。となれば、出て行くしかあるまい。とうことで、針を刀に、麦わらを鞘代わりとし、お椀を舟に、箸を櫂(かい)代わりとして出立したのである。住吉の浦から漕ぎ出し、鳥羽の港(伏見)で降りて、京の都へ向かった。

 

 その後、三条の宰相殿の家にうまく転がり込んだ一寸法師。そこで目にしたのが、宰相殿の美しい娘であった。一目惚れしたものの、この小さな身体では妻に迎えることも叶わない。

 

「ならば」と、一計を案じた一寸法師は、神棚に備えてあった米粒を寝ている娘の口に付け、泣く真似をする。その上で、自分が蓄えていた米を娘が奪ったと嘘をついたのだ。ここに記された一寸法師は、思いの外ずる賢い。

 

 これを信じた宰相殿が怒ったのだが、娘を殺そうとまでしたという宰相殿も、相当気が短いようだ。そこで「しめしめ」とばかりに、すかさず一寸法師がとりなし、娘を連れて家を出ることに成功した。

 

 ただし、鳥羽の港から難波の津へと向かおうとしたところで嵐に遭遇。二人が船に乗ってたどり着いたのが、「興がる島」という風変わりな島であった。鬼が登場するのはこの時のこと。

 

 一寸法師はあっけなく鬼に飲み込まれてしまうが、何故か口からではなく目から飛び出たというのがなんとも奇妙であった。恐れおののいた鬼は、これはたまらぬとばかりに、ほうほうの体で逃げ出してしまった。

 

 その後、鬼が落としていった打出の小槌を振って自分の体を大きくし、金銀までも打ち出した。このあたりは、巷に流布するお話と同様である。

 

 一連の経緯が世に知れ渡ったことで、宮中に呼ばれた一寸法師。宮中で自らの出自を語るのだが、それによれば、父である翁とは、もともと堀河の中納言の子であったとか。中納言が讒言(ざんげん)によって流人となって生まれたのが翁であった、とも。

 

 また、嫗も元は伏見の少将の子で、幼い頃に父母に死に別れたとのこと。もともと高貴な出自であったことを知った帝が殿上へと召して、堀河の少将に任じたという。後に中納言にまで出世したというから、それなりに能力のある人物だったのだろう。

 

 以上が『御伽草子』に記された一寸法師物語の概略であるが、もう一つよく似た伝承もあるので紹介しておきたい。それが、福岡県京都郡みやこ町に伝わる「一寸坊伝説」である。

 

■大国主神との関連も指摘される一寸坊とは?

 

 舞台は、みやこ町勝山松田の菩提(ぼだい)という名の集落である。この地に住む娘のもとに、毎夜通ってくる男がいた。美男子であったため娘も気に入り、相思相愛の間柄になったとか。ところが、男の素性がわからない。

 

 困った母が一計を案じ、苧環(おだまき)の糸を通した針を男の裾に付けさせて、その居どころを探ろうとしたのである。この経緯は、『古事記』に記された大物主神(おおものぬしのかみ)こと大国主神(おおくにぬしのかみ)と活玉依毘売(いくたまよりびめ)による三輪山伝説と瓜二つである。

 

 ともあれ、糸をたどってたどり着いたのが、小松池であった。つまり男とは、池に住む大蛇の化身だとわかったのだ。そうとは知ったものの、すでに娘のお腹の中に大蛇の子が…。やむなく邪気を祓って出産したものの、生まれてきたのは小さ子の一寸坊であった。

 

 それから十数年、景行(けいこう)天皇が九州遠征時にやってきた時のこと。階段を踏み外しそうになった天皇を一寸坊が身を挺して救ったことがあった。喜んだ天皇が、一寸坊に褒美を取らせたことは言うまでもない。

 

 一寸坊はこの資金を元に、菩提に四十九院を建立したとか。その功績が認められ、後に供養塔が建てられたとも。それが、福岡県京都郡みやこ町に残された石塔なのだという。この一寸坊と前述の一寸法師がどのように関連しているのかは定かではないが、ともに功を為して福を得ているところは共通しているようだ。

 

 それでは次に、いよいよ一寸法師の謎解きにチャレンジしてみることにしたい。御伽話は時として、実在の人物をモデルとして語られることもあるというから、可能な限りその人物像を探り当ててみよう。一見不毛とも思えそうなその作業の中から、意外な事実に気がつくということも少なくない。こんな方法で、埋れた歴史を掘っていくのも面白いはずだ。

 

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藤井勝彦ふじい かつひこ

1955年大阪生まれ。歴史紀行作家・写真家。『日本神話の迷宮』『日本神話の謎を歩く』(天夢人)、『邪馬台国』『三国志合戰事典』『図解三国志』『図解ダーティヒロイン』(新紀元社)、『神々が宿る絶景100』(宝島社)、『写真で見る三国志』『世界遺産 富士山を行く!』『世界の国ぐに ビジュアル事典』(メイツ出版)、『中国の世界遺産』(JTBパブリッシング)など、日本および中国の古代史関連等の書籍を多数出版している。

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