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日本海軍の先見の明、世界初の新造空母【鳳翔】

日本海軍海鷲の砦・空母たちの航跡~太平洋戦争を戦った日本空母の横顔~【第1回】

 


航空機の発達によって、それまで海戦の花形だった戦艦は空母の敵ではなくなった。「大艦巨砲」は「航空主兵」に取って代わられたのだ。当時の日本海軍は、アメリカやイギリスにも負けない空母保有国だった。やがて太平洋の蒼空は、彼我の空母艦上機とって修羅の場と化すことになる。第1回は、日本が初めて保有した空母「鳳翔(ほうしょう)」である。


公試中の「鳳翔」。艦橋のサイズなどからも比較的小さな空母であることがわかる。

 イギリス海軍は明治以来、日本海軍にとっての「師匠」であり、第1次世界大戦からその後の一時期まで、この関係は維持されていた。そのため、イギリス海軍が同大戦末期に水上機母艦ではなく航空母艦を実戦に投入したことは、日本海軍もいちはやく知っていた。

 

 そのような状況下、第1次世界大戦が終結すると、日本海軍は空母の取得へと動き出す。イギリス海軍の経験や実績などを参考に、独自の設計で建造することにしたのだ。

 

 かくして、1918年度からの八六艦隊計画で9500tの空母の建造が決まったが、企画の時点では水上機母艦とされており、途中から全通飛行甲板に島型艦橋を備えた空母とされている。これが世界の軍艦史上初めて、最初から空母として設計・建造された「鳳翔」である。その竣工は1922年12月27日であった。

 

「鳳翔」は、当時「空母最先進国」と見なされていたイギリス海軍の空母に何ら劣るところはなく、外見的にも第2次世界大戦で活躍する空母と変わる点はなかった。しかし船体サイズが小さかったせいで飛行甲板も狭いのが欠点で、後に島型艦橋と煙突は邪魔にならない場所に移され、平甲板型へと改修された。

 

 太平洋戦争が始まると、ミッドウェー海戦までは第一線部隊と行動を共にすることもあったが、旧式なので以降は練習空母として内地で艦上機搭乗員の訓練に用いられた。そこで、飛行甲板が短いため延長改修を施したところ外洋航行性能が悪化。そのせいで外地への派遣は事実上困難となり、完全に練習空母となった。

 

 戦況が激化して日本の敗色が濃くなっても、「鳳翔」は相変わらず練習空母だったが、戦争末期にもなると艦上機の訓練用の燃料も不足。呉(くれ)周辺で偽装を施して停泊していたが、空襲を受けることもなく終戦を迎えている。

 

 かような次第で戦闘損傷を蒙(こうむ)っていなかったため、外地からの復員船として活躍。その後、日立造船築港工場で解体された。

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過去記事

白石 光しらいし ひかる

1969年、東京都生まれ。戦車、航空機、艦船などの兵器をはじめ、戦術、作戦に関する造詣も深い。主な著書に『図解マスター・戦車』(学研パブリック)、『真珠湾奇襲1941.12.8』(大日本絵画)など。

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