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戦局の悪化と性能不足で量産には進まなかった双発陸上戦闘機【天雷】

「日の丸」をまとった幻の試作機 ~ 日本が誇る技術陣が生み出した太平洋戦争における最先端航空機たち【第9回】


太平洋戦争も中盤を過ぎて末期に近づくにしたがって、敗色が濃くなった日本。苦境に立つ皇国(こうこく)の起死回生を担う最先端の航空機を開発・実用化すべく、日本が誇る技術陣は、その英知と「ものづくり」のノウハウの全てを結集して死力を尽くした。第9回は、日中戦争における長距離先導戦闘機と、当時の世界的流行だった双発重戦闘機というニーズを満たすべく、先に開発されて長距離偵察機となった機体での経験に基づき設計された、双発陸上戦闘機「天雷(てんらい)」である。


「天雷」。高速を狙っただけあってスマートな機体だったが、設計上の問題により、要求された速度に及ばなかった。

 

 日中戦争で中国大陸の陸上基地に進出した海軍航空隊は、単発単座の戦闘機による長距離出撃時に問題を抱えていた。当時の戦闘機パイロットたちはいずれも腕自慢の強者であり、優れた飛行技術を会得していたため、単発戦闘機による長距離飛行も、難しくはあったが困難ではなかった。とはいえ、もし航法能力や通信能力に優れた先導をしてくれる航空機がいれば、より安心して長距離出撃が行なえた。

 

 また、長距離出撃が可能な戦闘機として、長距離出撃を行う陸攻(爆撃機)の護衛なども行える双発戦闘機が、1930年代後半には世界中の空軍で流行しているという背景もあった。加えて、陸上基地から発進する双発の長距離偵察機も求められていた。

 

 こういったニーズを受けて、海軍は中島飛行機に13試双発陸上戦闘機の開発を求めた。ところが同機は、戦闘機として要求された性能を満たすことができなかったものの、2式陸上偵察機として採用されることになった。しかも、この2式陸上偵察機が後に改造され、夜間戦闘機の月光となったのは、なんとも興味深い「廻り」といえよう。

 

 13試双発陸上戦闘機の開発経験に基づいて、1943年初頭、海軍は中島に対し、再び双発の18試双発陸上戦闘機天雷の開発を託した。これを受けた同社では、わずか1年ちょっとで試作1号機を完成させたが、同社が開発した誉(ほまれ)エンジンの不調、設計上の問題によるナセル・ストールなども生じて、要求された性能を発揮できなかった。

 

 この天雷、双発単座戦闘機として開発されたが、6機が生産された試作機のうちの2機が複座の夜戦型に改造されてテストに供されている。しかし1944年秋、海軍は逼迫(ひっぱく)する戦況に鑑みて試作機の絞り込みを行い、以降の本機の開発は中止されてしまった。

 

 だが主翼に20mm機関銃2挺、機首部に30mm機関銃2門という重武装だったので、最高速度が597km/hとやや遅かったものの、もし一定の機数が生産されていれば、空襲に飛来する大柄で堅牢(けんろう)なB-29に対して、追撃や反復攻撃は無理でも、大火力による効果的な一撃を加えられる機体となった可能性もある。

 

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白石 光しらいし ひかる

1969年、東京都生まれ。戦車、航空機、艦船などの兵器をはじめ、戦術、作戦に関する造詣も深い。主な著書に『図解マスター・戦車』(学研パブリック)、『真珠湾奇襲1941.12.8』(大日本絵画)など。

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